なぜピリオド楽器研究か (その一)

たとえば初期ピアノ

 ベートーヴェンの名曲と楽器の関連について、2回に分けて 書いてみます。


 いまやオーケストラの世界でさえピリオド楽器や奏法を無視できない趨勢となり、これまでとは違った弓の持ち方をしているヴァイオリン奏者に気付くこともあります。「ガット弦でなきゃ」という人も増え、チェンバロのプレクトラムも鳥の羽軸が珍しくなくなっています。今日はそういった音色の問題だけでなく、初期ピアノ開発期のベートーヴェン作品について考えてみたいと思います。

 Mozartは1777年の有名な手紙に、のちにウイーン・アクションの代表格となるシュタイン・ピアノのダンパーが効果的で、「すぐ聞こえなくなる」と書いています。一方、英国系ピアノのダンパーは響き抑止の効果が弱く、残響=アフター・リングが長くなります。もっとも、ダンパーのフェルトを変えユニットを重くすれば残響は減らすことができます。
 「すぐ消える」ウイーン・ピアノ対「残る」英国ピアノの響きの問題は楽器性能の違いにとどまらず、そののち、楽曲の作り方、表現の仕方に影響を与えていきます。例えば、《月光》第一楽章全体、《ヴァルトシュタイン》終楽章にあるダンパー解放指示や、緩徐楽章でレガートや響きの効果のためにペダルをたっぷり使ったという同時代者の証言からは、英国系ピアノへのBeethovenの憧憬感が窺えます。
 ウィーン・ピアノ使用時代の初期作品、《テンペスト》第一楽章冒頭は英国系ピアノではやや不明瞭となりますが、前回書きましたように、1803年に入手したエラール・ピアノから生まれた《ヴァルトシュタイン》は、Pedとかoのような指示による多くのペダル記号の書かれた最初のソナタで、音域の可能性だけではなく英国系ピアノに対応した作品でした。つまり、

 英・獨ピアノ間で違うダンパーの効果を調べることは単なる好古・懐古趣味ではなく、作曲家の耳にした楽曲というソフトの問題に繋がり「譜読みと解釈」という考現学にシフトしてきます。
 歴史的背景を勉強し、実際に昔の楽器を触ってみると、直接頭で理解でき勉強になります。工業製品として完成度の高い現代ピアノを「12等分律」で弾けば満足、という方はまだ多数派です。しかし、ピリオド楽器を知っているのと知らないのとでは19世紀半ば以前の楽曲理解に大きな差が生じるのです。

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マタイのオーボエ・ダ・カッチャ

マタイの終盤にある「Sehet, Jesus hat die Hand,...」のAlto solo のAriaは、大変美しい2本のダ・カッチャのオブリガートで始まります。
モダン楽器では勿論、Cor anglais で演奏しますが、これは曲想をミスリードしてしまいます。
モダンのコーラングレが持つ穏やかで内向的な性格と、(普通は)指数函数的に開いた金属性のベルを持つ Oboe da cacciaの暖かく伸びやかで朗々とした音の性格は、まったく異なるからです。
Suct Erloesung, nehmt Erbarmem, とか
Lebet, sterbet, ruhet hier, ihr verlassnen Kuechlein ihr など、
コーラングレの涙ながらの音では、救いを求める側の弱さが強調されてしまいます。
しかしながら、ダ・カッチャでは、(作曲者の意図のとおり)力強く堂々とした、
Bleibet in Jesu Armen.
がしっかりと伝えられると考えます。
次のレチタティーヴォでイエスは息絶えるのですから、このアリアの曲想はとても重要な意味があると考えます。楽器を抜きに音楽の解釈をすることは無理がある、ということのひとつの証左だと考えています。

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