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すぐ・・必ず・・できるまで・・(1626)AR余話
ステルクスホフ城からどこへ?
前回観察したフレースハイス博物館蔵(1626)ARは、Dr. O'Brienが『ルッカース・カタログ』を作成したころ、楽器所在地がアントワープ近郊の銀器博物館・ステルクスホフ城になっていました。現存ルッカースはすべて拙著『著名博物館・コレクション別 チェンバロ クラヴィコード オリジナル楽器便覧』上下巻に収載する予定でしたので、2005年、ステルクスホフ城を訪問しました。
ところが、「楽器はここです」と案内された部屋には見当たらず、城内にもないということでした。そういう場合、館のガイドさんに聞いても学芸員クラスでないと分りません。一旦あきらめ、帰国してDr. O'Brienにメールで問い合わせたところ、フレースハイス博物館の学芸員をすぐ紹介してくれました。その結果、(1626)ARは傷みがひどかったのでステルクスホフ城からフレースハイス博物館に寄贈され、修復中ということがわかりました。
それら一連の連絡は手際よく速やかにおこなわれ、少なからず感動いたしました。というのも、「すぐやらない・必ずしもやらない・できるまでやらない」怠惰な自分を戒めようと居間に掲げている
「すぐやる・必ずやる・できるまでやる」
という座右銘ぴったりの対応だったからです。ささやかな自分の経験からも、過去に接した一流の人は大抵そうでしたね。
現在展示中のフレースハイス博物館では(1626)ARという、Dr. O'Brienの鑑定の結果つけられた記号は使っていません。
Dr. O'Brienはどうやって「製作年」が判ったのでしょうか? それは、生産工程管理のために書かれていたナンバリング・システムのいわゆるO'Brienの命名した「ルッカース番号」から判明するのです。「ルッカース番号」によって真贋と製作年の判定が可能となったのもDr. O'Brienの業績です。
山らしい山のないドイツのウエストファリア地方から低地のオランダにかけて、古城はお堀に囲まれたドイツ語でヴァッサーブルクという「水城」が多く残っています。ステルクスホフ銀器博物館も濠に囲まれた水城で、ドイツのものより規模が小さいようですが、ディズニー・ランドでは味わえないホンモノのメルヘンの雰囲気があります。いうまでもなく展示銀器は見事でした。
前回観察したフレースハイス博物館蔵(1626)ARは、Dr. O'Brienが『ルッカース・カタログ』を作成したころ、楽器所在地がアントワープ近郊の銀器博物館・ステルクスホフ城になっていました。現存ルッカースはすべて拙著『著名博物館・コレクション別 チェンバロ クラヴィコード オリジナル楽器便覧』上下巻に収載する予定でしたので、2005年、ステルクスホフ城を訪問しました。
ところが、「楽器はここです」と案内された部屋には見当たらず、城内にもないということでした。そういう場合、館のガイドさんに聞いても学芸員クラスでないと分りません。一旦あきらめ、帰国してDr. O'Brienにメールで問い合わせたところ、フレースハイス博物館の学芸員をすぐ紹介してくれました。その結果、(1626)ARは傷みがひどかったのでステルクスホフ城からフレースハイス博物館に寄贈され、修復中ということがわかりました。
それら一連の連絡は手際よく速やかにおこなわれ、少なからず感動いたしました。というのも、「すぐやらない・必ずしもやらない・できるまでやらない」怠惰な自分を戒めようと居間に掲げている
「すぐやる・必ずやる・できるまでやる」
という座右銘ぴったりの対応だったからです。ささやかな自分の経験からも、過去に接した一流の人は大抵そうでしたね。
現在展示中のフレースハイス博物館では(1626)ARという、Dr. O'Brienの鑑定の結果つけられた記号は使っていません。
Dr. O'Brienはどうやって「製作年」が判ったのでしょうか? それは、生産工程管理のために書かれていたナンバリング・システムのいわゆるO'Brienの命名した「ルッカース番号」から判明するのです。「ルッカース番号」によって真贋と製作年の判定が可能となったのもDr. O'Brienの業績です。
山らしい山のないドイツのウエストファリア地方から低地のオランダにかけて、古城はお堀に囲まれたドイツ語でヴァッサーブルクという「水城」が多く残っています。ステルクスホフ銀器博物館も濠に囲まれた水城で、ドイツのものより規模が小さいようですが、ディズニー・ランドでは味わえないホンモノのメルヘンの雰囲気があります。いうまでもなく展示銀器は見事でした。
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