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あとだし説明(その三)
音色と楽曲
あとだし説明(その二)では、当時のウィーン・ピアノのバス音とBeethovenの用法研究をしました。今回は音色研究です。
ピアノの発達史では音域の拡大がよく注目されます。しかし、前回書きました独系ウィーン・ピアノと英系ピアノの高音域の音色上の特色と楽曲の関係も注目すべきではないでしょうか。
チェンバロの経験からすると、高音への音域拡大は成功しやすいようですが、もし拡大された音域がつまらない音だったら、作曲家はその音を使う気がしなかったでしょう。チェンバロの場合、最低音から上へ2,3の音はそのきらいがあって、その音は基音が満足に響かず、「捨て石」になっている例も少なくありません。
Beethovenのエラール・ピアノの鍵盤改善工作歴からみると、主にタッチ・ウエイトの軽量化が目的で、Beethovenはエラール・ピアノの高音域の音色には未練を残しながらウィーン・ピアノに復帰したのではないでしょうか。1814年、ブロードウッド・ピアノを署名入りで、英国在の崇拝者たちから寄贈されたとき大変喜び、誰にも弾かせなかったそうです。
英系ピアノとの再会が嬉しかったということは、寄贈者の気持ちが嬉しかったと同時に、エラール体験後、英系の「響き」との再会が嬉しかったのではないでしょうか。
1823年、Ignaz Moscheres(モシェレス1794-1870)はウィーンのケルントナートーア劇場でコンサートを開催、GrafピアノとBroadwoodピアノの2台をならべ、演奏しました。
のちにMoscheresは、
「Broadwoodピアノは覆われたような音色だった。私は自作の《ファンタジア》で幅広いたっぷりした表現をしようと試みた…しかし徒労であった。わがウィーンの聴衆は同郷人に忠実であり続け、…鳴り響く透明なGrafピアノのほうが、より心地良かったのだ…」
と、両楽器の音色の違いを回想していますので、Beethovenの1814年のブロードウッド・ピアノから約10年後のウィーン・ピアノの高音はかなり明るくなっていたのでしょう。
Beethovenが1827年に死去して遺品となったグラーフ・ピアノは、1824年製です。終の棲家の書斎には、3年間使ったGrafピアノと13年間使ったBroadwoodピアノの2台が残されました。
あとだし説明(その二)では、当時のウィーン・ピアノのバス音とBeethovenの用法研究をしました。今回は音色研究です。
ピアノの発達史では音域の拡大がよく注目されます。しかし、前回書きました独系ウィーン・ピアノと英系ピアノの高音域の音色上の特色と楽曲の関係も注目すべきではないでしょうか。
チェンバロの経験からすると、高音への音域拡大は成功しやすいようですが、もし拡大された音域がつまらない音だったら、作曲家はその音を使う気がしなかったでしょう。チェンバロの場合、最低音から上へ2,3の音はそのきらいがあって、その音は基音が満足に響かず、「捨て石」になっている例も少なくありません。
Beethovenのエラール・ピアノの鍵盤改善工作歴からみると、主にタッチ・ウエイトの軽量化が目的で、Beethovenはエラール・ピアノの高音域の音色には未練を残しながらウィーン・ピアノに復帰したのではないでしょうか。1814年、ブロードウッド・ピアノを署名入りで、英国在の崇拝者たちから寄贈されたとき大変喜び、誰にも弾かせなかったそうです。
英系ピアノとの再会が嬉しかったということは、寄贈者の気持ちが嬉しかったと同時に、エラール体験後、英系の「響き」との再会が嬉しかったのではないでしょうか。
1823年、Ignaz Moscheres(モシェレス1794-1870)はウィーンのケルントナートーア劇場でコンサートを開催、GrafピアノとBroadwoodピアノの2台をならべ、演奏しました。
のちにMoscheresは、
「Broadwoodピアノは覆われたような音色だった。私は自作の《ファンタジア》で幅広いたっぷりした表現をしようと試みた…しかし徒労であった。わがウィーンの聴衆は同郷人に忠実であり続け、…鳴り響く透明なGrafピアノのほうが、より心地良かったのだ…」
と、両楽器の音色の違いを回想していますので、Beethovenの1814年のブロードウッド・ピアノから約10年後のウィーン・ピアノの高音はかなり明るくなっていたのでしょう。
Beethovenが1827年に死去して遺品となったグラーフ・ピアノは、1824年製です。終の棲家の書斎には、3年間使ったGrafピアノと13年間使ったBroadwoodピアノの2台が残されました。
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