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エタ=ハーリッヒ・シュナイダーの自伝『苦難の時代とその群像 上巻』

伝記
 いま、エタ=ハーリッヒ・シュナイダー女史の自叙伝『苦難の時代とその群像』(国井忠訳)を読んでいます。上、下 二巻の大著です。
 第二次大戦勃発前夜から戦後しばらくまでが実に詳しい。一人のチェンバリストの視点から書いているが、個人的な生活と共に当時の政治上の「危ない」世界情勢を彼女自身の日記が元になり描かれた貴重な群像の記録です。第一巻を読了して改めて印象深かったことをいくつか挙げてみます。一言で言えば、「エタさんはすごい」女性です。
 第二巻の読後感は後日になります。

ドイツ脱出
 1.朝日新聞の招きでベルリンの音大教授の地位を捨てて1941年(昭和16年アジア太平洋戦争勃発の年の5月)、シベリア鉄道から旧・満州経由(下掲地図A→B→C→D)で東京へ。
    南満地図  
    青のラインが鉄道網

このコースならエタさんは小学生の私・野村が住んでいたC新京(シンキンとカナ書き訳だがシンキョウとしてほしい)という名のラスト・エンペラー溥儀の宮廷のあった街の駅を通過したのだナ…その人から15年後、藝大の奏楽堂でレクチャーを受け、のちに自分はチェンバロと関わることになるとは面白い人生ストーリーだったんだネ。
 乗った列車は展望台のある「特急あじあ」(アジア特急という翻訳だが・・・)特急あじあ エタさんはお金には困らなかったようで、「ちなみに運賃ですが、3等車が10円89銭、1等車が31円29銭と3倍近い開きがあります。また3等もお安くありません。値段の比較としましては、当時東京の浅草でカツ丼が35銭だったことからみましても、高価だといえますね」 という資料もあり、「特急あじあ」に乗れたこと自体、セレブ的。

シェックとの関わり 
2.音大教授の地位を捨てて、といってもアメリカへ亡命するヒンデミ-トとは親交があったが、根がナチ嫌いで親ユダヤだったし、一方、フルート科の教授シェックからは何かと妨害工作を受ける日々に見切りをつけたということらしい。
 3.シェック教授は、戦後、我が国初のリコーダーのプロとなった多田逸郎先生の恩師であり、フローリアン・シェック著、『シェック 父を偲んで』という伝記の翻訳をされた多田逸郎先生に私淑する筆者としては、シェックからいじめがあったことを知り、ヘンな気持ち。

スパイ・ゾルゲ  ゾルゲ
 4.エタさんが渡日後、スパイ・ゾルゲと深い関係があったことにはビックリ。付き合う過程で夜、窓から飛び降りたこともあったとか。スパイ行為はなかったエタさんは、ゾルゲを敬愛したようだ。スパイ・ゾルゲ事件は戦時中の大事件。結局ゾルゲは絞首刑となる。

チェンバロ演奏会
 5.戦争中も熱心な聴衆で満席のチェンバロの演奏会が行われていたことに感服。中禅寺湖畔の別荘でもチェンバロの演奏会が行われた。

戦後
 6.終戦後、アメリカ占領軍にはいじめられた。

つづく

ヨーゼフ室内管弦楽団のハイドン・コンサート

ハイドン大好き集団
 ここに言うハイドンのファンとは、ハイドンを演奏して幸せになれる人たちのことです・・・といって2017年の8月27 日の本ブログで紹介したヨーゼフ室内管弦楽団 の第7回コンサートが、来る2月17日(日)マチネーで開催されます(下)

Joseph.jpg  
ヨーゼフ室内管弦楽団 のコンサート  赤数字は今回の演奏曲で、薄い数字は既演曲

ピッチと使用チェンバロ
 ピッチa=442Hzのモダン楽器によるオーケストラですがハイドンの交響曲全曲演奏を目標に、演奏のクオリティも申し分なく年2回のコンサートを入場無料で開催しているという奇特なオケです。今回は全曲チェンバロを使うのでお手伝いしてきます。使用チェンバロは、エジンバラはラッセル・コレクション蔵のジョン・ハリソンが製作した1757年スピネットのフリーコピー・モデル。まさにハイドン時代の英国モデルです。

1757Harrison.jpg
  ラッセル・コレクション蔵 1757年 ジョン・ハリソン作スピネット (クリックで拡大)

 なぜスピネットか
 いろいろ経験した結果、通奏低音用チェンバロは低音が響くスピネットなら十分だと思います。トーカイ・モデルはキャンキャン鳴り、バスが響かないのでダメ。それに、指揮者が弾き振りしないかぎり場所をとらないので適しています。


連載8  昔のピッチについて 続・バロック時代のフランス/十七世紀後半のダングルベールから 十八世紀

フランスの十七世紀 ダングルベール(下)の使用ピッチ
         ダングルベール7-1

 1691年にパリで死去したダングルベールJean-Henri d'Anglebertの遺産目録には一段鍵盤楽器4台が記録され、そのうち1台は鍵盤を「左右半音移調可能」とあり、おそらく低いピッチ(388Hz)と、高いピッチ(410 Hz)に移調できる楽器であったと思われます。のちの1759年、パリで売りに出された2台のクラヴサンも同じような移調鍵盤仕様で、ダングルベールの遺産目録から示唆されるピッチか、あるいは二つの高ピッチ(といっても現代より半音以上低い)だったのでしょう。

十八世紀
 フランス楽器の弦スケールの実用的上限は、a1= 415Hz(現代ピッチの半音下)あたりだったようです。上掲のように、ゲルマン、エムシュ等1750年代60年代にパリで作られた残存クラヴサンはスケーリングが長く、世紀半ばに徐々に高めになったとはいえないことを強く示唆しています。
 他方、フランソワ・ブランシェBlanchet I世は1730年代に、僅かに短いスケールを採用(a1= 420Hzほど)し始めます。弟子のタスカンTaskinによる1780年代以降の2台はフランスの楽器としては特に短い弦長で、他のタスカン楽器(a1=433Hzほど)より半音高いピッチを意図したと思われます。フランス、ドイツ、イギリスに残存する多くの十八世紀楽器は、実用的上限としてa1= 420Hzを用いたようです。

連載8  昔のピッチについて バロック時代のフランス

バロック時代のフランス ⦆⦆⦆⦆⦆ フランスでは、1650年創立のリュリJean Baptist Lullyによるヴェルサイユ・オーケストラが、スタンダードを守った木管楽器製作家のピッチで活動しました。残存するリコーダーがa1= 385~8Hzなので、現代のa1= 440 Hzの2半音下を示唆しています。そして、フランスの木管楽器演奏家達が国際的に活躍していたので、チェンバロのピッチの標準化を北部ヨーロッパに広め、1750年以降もそれが伝承されました。フランス・ピッチはa1= 385~415Hz、オペラ・ピッチがそれより低いという幅のある解釈が良いでしょう。
 メルセンヌ Mersenneの著作(Harmonie universelle)中のオルガンはおよそa1= 375Hz (1636年:トン・ド・シャペル)、メルセンヌから130年後のドム・ベドDom Bedosの著作中のオルガンは a1= 377Hz (1766年:トン・ド・シャペル)とみられ、フランス・バロックはオルガンも低ピッチでした。

Dom Bedo clvorgn  クリックで拡大 
ドム・ベドDom Bedosの図版からクラヴィオルガヌム(オルガン+クラヴサンのコンビネーション楽器)
 

 現代では低いと思われていますが、のちのヴェルサイユ・ピッチといわれる工匠・タスカンPascal Taskin の音叉(1783年頃)はフランス・ピッチとしてはごく高めで、十九世紀中頃の測定では a1= 409Hz、現代の基準・440Hz の全音下g1 音とほぼ同じです。弦長スケールと張力から調べたオブライエンは409Hz を追認しています。しかし、ルッカース楽器の改作を経験したタスカンの楽器には、更に低い長めのc2= 364mmと、逆に短い約344mmのスケールもあるので、破断点より低めの用弦法を唱えるミッチェルは、…タスカンが409Hz ばかり用いたという判断はできないし、タスカン・スケールが409Hzなら長めのスケールは約392Hzのフランス・オペラのようなピッチを意図していたのかもしれない…、オブライエンのいうルッカース の「レファレンス・ピッチ」も厳密には、a1= 415Hzであったとは言えない、と論評しています。
 たしかに、現代の[便宜的」バロック・ピッチ415Hzでは、用弦法にもよりますが、イタリアンの構造は張力に耐えられず変形しやすいし、 ミッチェル説によると、オブライエンのレファレンス・ピッチも415Hzではなく、前記1531, Trasuntino の試行ピッチのようにモダン・ピッチから4半音(長三度)低い348Hzピッチを想定しないと、オブライエンの分類した4種の楽器サイズとピッチの関係が理解できないとしています。
 さらに、「フランスのクラヴサン」をモデルにする場合、クラヴサンのc2 スケールは、十八世紀楽器でもこのあと示すようにルッカース・スケール(c2 = 355mm)を超えるものが多く、これらのモデルに現代の一般的なバロック・ピッチa1= 415Hz をあてることは検討を要することになります。

1711, ドンズラーグDonzelague, Pierre = 366mm(下巻p.134)
1736? エムシュHemsch, Henri = 378mm(上巻p.36)
1742, ベローBellot, Louis Charles = 368mm(上巻p.33)
1750, グルマンGoermans, Jean = 370mm(上巻p.65)
1764, Goermans, Jean・伝= 366mm(上巻p.52)
1774, Goermans, Jacques = 365mm(下巻p.135)

つづく

連載7  昔のピッチについて バロック時代のドイツ

     大王の奏楽
サン・スーシー宮殿での大王の奏楽を描いたこの有名な絵は、約100年後史実に基づき忠実に再現描写された水彩画。チェンバロ奏者はC. Ph. E. バッハ。右端がクヴァンツ。

バロック時代のドイツ ⦆⦆⦆⦆⦆ 後期バロックの1760年代、プロイセンのフリードリッヒ大王に仕えたクヴァンツJohann Joachim Quantzは、「大王のフルートを、唯一残ったジョイントで作ると演奏にベスト」と書いたので、残存フルートのピッチから、大バッハがサン・スーシー宮を訪問したとき息子のC. Ph. E. バッハの弾いたチェンバロと初期ピアノは、a1= 395Hzであったことがわかります。これはほとんど現代のg1のピッチ(391.955Hz)で、4Hzほど高いだけです。

バッハハウス
バッハの故郷、アイゼナッハのバッハハウス

 アイゼナッハにあるバッハハウス蔵の十八世紀初期の一段鍵盤楽器( 多分チューリンゲンの工匠作)は、左右4カ所(下記ア イ ウ エ)に移動可能なトランスポージング鍵盤付です。

バッハハウス2

4カ所は低い方からア→イ→ウ→エ順に、ア a1= 390Hzはバッハが在職したケーテン宮廷楽団の室内ピッチとみられる。.→ イ a1= 415Hzはバッハがトーマス教会のカントールであった頃、ほとんど一般的ではなかった室内楽とオーケストラ・ピッチの標準。→ ウ 現代ピッチにあたるa1= 440Hzは、ルネサンスやバロック時代は未知だったもの。→ エ a1= 455Hzはプレトリゥスの古いカマートンで、十八世紀には混乱してコールトンa1=460Hzとして知られていたもの。
 十八世紀にはまだ北ドイツのオルガンの大部分がこのピッチに調律されました。

つづく

ごあいさつ + 山田邸訪問 -3

ごあいさつ 
新年おめでとうございます。

 お正月、関東は晴天続きでした。
時々脱線するチェンバロ・オタク向けブログ、ご覧いただきありがとうございます。

 今年の脱線第一号。 
 元旦の夜、NHKのウィーンフィルの中継するニューイヤーコンサート、開幕の音楽が《シェーンフェルト行進曲》であったことに、何かいいことありそうな少しうれしい気持ちになりました。なぜなら、私・野村の指揮するサロン・オケ「アンサンブル・シェーンフェルト」がテーマ曲としていつも《シェーンフェルト行進曲》で開演しているからです。アップのyoutubeお聴き下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=TO9voqCmBD8

山田先生が準備しているマリウス・コピー
 マリウスの1713年作は展開した楽器本体の高さが12センチほどしかなく底板は8ミリで、ギターのような音響コンセプトで作られています。折り畳んで24センチ。畳むために、鍵盤はデリーケートですからボデイ内部にスライドさせて収納します。その厚みを高さ12センチから引き算するとジャックの高さはごく短く、木製では重みのないものになってしまうので、鉛で作られています(下図)。

             CMIM000023548のコピー クリックで拡大

かつて 演奏旅行で忙しくなった故・柴田君が折りたたみクラヴサン製作を思い立ったのは、今と異なりチェンバロを旅行先で用意できない時代だったからです。山田先生は注文があるわけでなし、未知のものにチャレンジすることが動機ですから頭が下がります。
 町内の敷設された水道管が昔鉛でしでしたが、ステンレスに取り替えられたときにもらった鉛管を先生にプレゼントしてきました。

山田邸訪問 -2

 折りたたみクラヴサンとは
折りたたみクラヴサンは下図のように蝶板で回転して畳まれ、鍵盤はボディ内部にスライドして格納させてますので、長方形の立方体になります。
          クリックで拡大  Clavecin brisé            marius.jpg

 まず、東京コレギウム刊『チェンバロ クラヴィコード関係用語集』の概説から。

折り畳みチェンバロ / 携帯チェンバロ / 折り畳みクラヴサン
英)folding harpsichord for traveling 佛)clavecin brise / clavecin de voyage
獨)Reisecembalo / Reiseclavecin
 旅行用の楽器で、パリの工匠Jean Marius(マリゥス)(活動期は1700~16年)1700年から20年間製作したものが有名。
 1713年作の、G 1/B 1~e 3音域、ブロークン・オクターヴの楽器は、鍵盤ボディともに3分割されて蝶番でつながり、運搬時には箱状の立方体の形に折りたたむことができる。
 Friedrich大王の祖母、Sophie Charlotte(ゾフィー・シャルロッテ)から受け継がれ、戦いに明け暮れた大王の従軍用Marius楽器がベルリンに残っている(下巻p.48)。博物館カタログの製作年は、1700年と1704年の間。Marius楽器の響板装飾は、Blanchet(ブランシェ)楽器の装飾担当と同じ彩画師によるとされるが(S. Germann, 1981, p.193)、ベルリン楽器の響板彩画は、伝統的な花鳥モチーフと全く異なる鍛鉄細工模様のほか花柄・仮面劇中の人物など。
 楽器ケースはB 1~d 1、d♯1~d 2、d♯2~c 3の3部分で分割されて蝶番でつながり、折り畳むと長方形(厳密にはテール側の幅が62mm広くなる多角形)になる。

 携帯用「折り畳みチェンバロ」は、Mariusが一貫して製作、創案者ともいわれている。しかし、フィレンツェのGiuseppe Mondini(1631-1718)が発明したという記録がイタリアにあり、工匠の活動期からみてもイタリア起源の楽器とみられる。
          
     grimaldi.jpg 1697, Grimaldi  grimaldi  
                              Grimaldiの折り畳みチェンバロ。

 以前、Gorgaコレクションが所蔵し、現在ニュルンベルクの国立ゲルマニア博物館蔵、1697年作の一段鍵盤チェンバロでよく知られているGrimaldi(活動期1697~1703年のメッシナの工匠)は、リュートやオルガン作りが主であったらしく、現存チェンバロは上記1697年のチェンバロ(上左)ほか3台のみ。うち1台はイタリア現存楽器中唯一の携帯用「折り畳みチェンバロ」(上右)
 パリの工匠Marius(活動期は1700~16年)による携帯用折り畳みクラヴサンは、ほかにパリ・音楽博物館、ブリュッセル楽器博物館、ライプツィッヒ大学楽器コレクションなど7台がある。

つづく

山田邸訪問 -1

 平成最後の冬至前日、チェンバリスト・山田貢氏のお宅にお邪魔しました。我が国での古楽の活動を先導した演奏家で、バロック一期生として、チェンバロの研究、製作を実践した先達です。演奏のプロとして、そのうえチェンバロの製作まで実践、ということは並のチェンバリストの上を往く先生です。

     ラウテンクラヴィーア 山田先生の自作ラウテンクラヴィーア


 先年、バッハの遺品目録にあって現物のないラウテンクラヴィーアを自作され、評判になりました。チェンバロ製作もされるので、ただの演奏家より楽器の挙動に誠に詳しい。故・多田逸郎氏の思い出話も出て時間が駆け足、楽器関連の語らいを圧縮しなければなりませんでした。

 今、山田先生の頭脳を駆け巡っている楽器製作構想は、パリに残っている折り畳みクラブサン。工匠・マリウスの1713年作(下)の楽器です。
                  マリウス1713のコピー クリックで拡大

つづく

資料  a1の振動数を比較した一覧表

 史上 有名な《音楽の捧げもの》誕生のきっかけとなった大バッハのサンスーシー宮殿訪問ではどのようなピッチだったのでしょうか。

           大王の奏楽 大王の奏楽

 下表には収載していませんが、宮殿の主・フリードリッヒ大王に仕えたクヴァンツが「大王のフルートを、残ったジョイントで作ると演奏にベスト」と書いたので、残存ジョイントで構成したフルートのピッチから、何事も大王中心に動いた背景を考えますと、大バッハの息子、C. Ph. E. バッハの弾いたチェンバロと初期ピアノはa1= 395Hzであったと見られます。このピッチは、1713年の英国・トリニティカレッジのオルガンや、1789年のヴェルサイユ宮殿の礼拝堂のオルガンのピッチとほぼ同一です。


フランスのバロック時代のピッチを考える前に、a1の振動数を比較した一覧表を御覧下さい。
 通常、オルガンは調律のたびにパイプが短くなる傾向を反映して高いピッチですが、時代が下ると総体的に一般の使用ピッチが上昇していることが下表からわかります。

a1の振動数を比較した一覧表
                 東京コレギウム刊 『チェンバロの保守と調律補遺篇』から転載

つづく

連載6  昔のピッチについて  440 or 415 Hzは二者択一でいいのか

いま、「440 or 415 Hzは二者択一でいいのか」 を考えています。 

 イタリアのルネサンス期、ロング・スケールのチェンバロは大まかに分けると、スケーリングが前述のようにほぼc2= 310mmまたは340mm強という全音差ピッチの2種類になります。それら楽器のうち、1620年以前に作られたc2= 300mmより長めのロング・スケール楽器は160台の現存楽器中72.5%の116台であるのに、1650~1800年間のロング・スケール楽器は115台中僅か17.4%の20台に減少しています。
 イタリアンの構造・製法は殆ど変らなかったので、このスケーリング変遷は筐体構造上の変更によるものではなく、十六~七世紀に「ラジカルなピッチ変動」があったことを示唆するものとみられます。有名なプレトリゥスのテアトルム・インストゥルメントルムの図版に、スケール付で描かれている鍵盤楽器の姿(下)はピッチ変動期のものです。

       prae4度低いcem2   クリックで拡大

 興味深いことに、上記全音差ピッチの2種の楽器で五度上四度上へ移調演奏すると、ミッチェルのいう「汎ヨーロッパ・ピッチ・システム」計4 種類の移調ピッチにアプローチできます。

 音楽先進国だったイタリアの十六世紀後半以後に作られた、現代のa1 より3~5半音低いチェンバロやスピネットが残っています。 ヴェネツィアで作られた1574年(下)と1579年(パリ コンセルヴァトワール蔵)のジョヴァンニ・アントニオ・バッフォ製作の大型楽器は重要で、オリジナルは現代ピッチより7半音低く、ディスポジションは4'+8' 仕様でした。

   1574.jpg
    ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 拙著『オリジナル楽器便覧』上巻74頁参照。

 因みに、古いイタリアンの仕様は、現在多く見られる2✕8' ではなく、上掲バッフォ楽器のように1✕4' + 1✕8'、 あるいは1✕8' から始まります。

イタリアのピッチ変動期 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十七世紀前半、イタリアで新しい楽器のスケーリングが変動期を迎え、派生音を使う曲が流行し始め、短い弦長への改造が進みます。それらの楽器は、前世代楽器よりほぼ四度高く(現代ピッチより半音下に)なります。その後、アルプス以北のヨーロッパで中音域と高音域の真鍮弦用法から、鉄弦用法が標準となり、イタリアの十七世紀楽器と十六世紀楽器の多くが、新しい十七世紀楽器の短弦長スケールに改造したか、取り換えられながら2✕8' 仕様に移行します。十七世紀末、ヴァチカンがa1=約400Hzの基準化を試行したさい、「ヴェネツィアや他の北部イタリアから来た器楽奏者は、ローマでの演奏音より全音低くしなければならなかった」という記録を残しています。
 十六世紀の半ばにピッチは現代のa1= 440Hzの下半音、または全音低くなり(現代ピッチのA♭ またはG )、それまでより高めのこの新しいピッチは、昔の古いピッチと共存して十七世紀から十八世紀の終りまで続きます。1500~1800年の間のチェンバロは多種類のピッチがありましたが、大部分はある一定のピッチ伝承を尊重していたようです。
 十六世紀のチェンバロは移調できる楽器とみなされ、ルネサンス・ピッチ(a1= 410 Hzと455Hz)よりほぼ四度低いものでした。
ルッカース時代 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十六世紀後期のアントワープで、現代ピッチのa1= 440Hzより1半音~2半音下の、多分イタリアの場合より僅かに高いa1= 385Hzと415Hzの間のチェンバロが作られ始めます。ルッカース研究の泰斗オブライエンは、その415Hzを「R(リファレンス)ピッチ」と名付け、a1= 415Hzが、現代のバロック・ピッチのひとつになることを正当化しました。

つづく 次回は、バロック時代のドイツのピッチを考えます。

多田逸郎先生 のこと

追悼 多田逸郎先生
  2017年6月にお見舞いして1年足らずの本年5月1日、多田逸郎先生は亡くなられました。
 教職も長く務められたので、間然なき先生の生き方と人生は無言のうちにも、音楽にかぎらずいろいろな領域で教えられた人は多いのではないかと思います。
 教育大(筑波大)付属高校から都立藝術(総合芸術)高校、東京藝大での「西洋古楽演習」など、授業の記録をお送りいただいたときは、実施内容の充実ぶりに驚かされました。都立藝術高校で先生の後任となった私・野村にとっても、私淑して止まない方でした。

奥津城訪問
 カトリックでは11月が我が国のお盆のように、死者を回顧し偲ぶ月だそうです。11月18日、教育大付属高校時代の同僚だったS先生に同乗いただいて私が運転、八王子市郊外のカトリック五日市霊園に墓参してきました。 霊園内区画は「カトリック上野教会使用墓地・第8区12・14・23・24番」。JR利用なら五日市線・武蔵増戸駅から徒歩15分です。

バロック一期生
 1960年代、我が国ではバロック・ブームといえるさまざまな動きがありました。イ・ムジチ合奏団によるLpレコード《四季》の売れ行きは盛んで、今でこそオーセンティックな楽器を使う「古楽」が定着していますが、藝大助教授だった服部幸三先生が世話役の「東京バロック音楽協会」のコンサートでは、モダンのチェンバロを当然a1=440で使い、ガンバの代わりにチェロの使用はいいけれど、ネックに糸を巻きフレットをつけるなどしていました。
 その演奏会のリコーダー奏者が多田逸郎先生でした。ドイツ留学中に師事したシェック博士との共演時代を画した演奏会でした。シェック博士からトヤマ楽器に貸与されて以来、飛躍的に日本製リーコーダーの音が向上します。
 その頃、多田先生に出会った私はチェンバロ研究を始めた頃で、山田貢氏をご紹介頂き研究会を開き、今は旧聞になっているJohn D. Shortridgeの書いた『Italian Harpsichord-Building in the 16th and 17th Centuries』を訳し、故・堀さん、故・柴田雄康君とともにイタリアンのスケーリングを勉強していました。まさに日本における歴史チェンバロ製作研究の幕開けの時期でした。

 堀さん、市川君、 服部幸三先生、柴田雄康君に次いで多田先生が逝去、一つの時代が終わった感慨です。

多田教室
多田教室の種まき  
 多田逸郎先生が渋谷で開講された「リコーダー教室」の受講生に、いま大御所の大竹尚之さんほか故・佐々木節夫/松田世紀夫/三間久道/山岡重冶の諸氏がいて、その人脈を見るだけでも多田教室の果たした役割は大きかったといえるでしょう。

著 作
 それだけではありません。実践的な著作が多く、愛奏された方は多いのではないでしょうか。以下は主要なものです。

多田著作2   はじめての出版物。アカデミア・ミュージック刊   多田著作1  多田シリーズの第1巻 全音楽譜 

多田著作4  タイトルは『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』全音楽譜。下掲の原書は、ヘンデルが才能豊かなアン王女のために通奏低音の導入から、フーガ‥カノンの高度なレベルまで課題を書いたテキストで、これをコナセないと古楽演奏家とはいえません!!

多田著作3 上掲の『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』の原書(オックスフォード出版局刊)表紙。絵画写真ばかりか、色使いまで再現。
 
In questa tomba oscura lasciami riposar, (Beethoven WoO 133)


                         

連載5  昔のピッチについて 

ピッチの変遷とチェンバロのc2 弦長

            RCM 4
             工匠不詳の現存最初期楽器 RCM蔵
最初期楽器
 上掲の工匠不詳の現存最初期楽器( 王立音楽大学 RCM蔵:上巻p.66に詳細 )や下掲の『アルノー手稿』(下巻p.37に詳細) からうかがえるプロトタイプの誕生以来、チェンバロはソロや合奏に使われ、当然そのピッチは他楽器との関係で決まり、間もなく主導的楽器としての地位を得ます。

          アルノークラヴィシンバルム1 (2)   『アルノー手稿』の中のチェンバロとアクションを解説した頁

弦の性質と長さからピッチを類推
 さらに、カーボン成分を含ませる現代のピアノ線とは異なり、燐(phosphorus)成分が含まれ、断弦し易い昔のチェンバロでは、弦長・ピッチ間に許容される自由度はさほど大きくなく、通常、適度な長さがあってピタゴリアン・スケールを適用し易い音域の代表音として、c2(2点ハ音)の「弦長スケール(スケーリング)」が演奏ピッチをかなり反映するとみなし、その弦長計測値は昔の「ピッチ・レベル」を推計する拠り所になっています。そして、チェンバロの弦長は、工匠の個人的な好みで決められたかのように思われていましたが、各工房は常にかつ正確に基準を守り、共通スケールを用いていたことが近年のオブライエンレイトの研究からみえてきました。チェンバロの弦スケールからみたピッチ類推も可能なのです。また、オリジナル古楽器のチューニング・ピンに残っていた残存弦の冶金学的分析により、主要なタイプの弦の限界的な弦張力と破断点が明らかになっていますので、計測可能な弦長スケーリングから過去のピッチが類推できるのです。

つづく

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-5

前回からの続き

 80年代だったか、チェンバロ作りのウデをあげてきた故・柴田君があるとき、「折りたたみクラヴサン製作を考えている」と発言、少々驚いたことがある。
                  Clavecin brisé Clavecin brisé=折りたたみクラヴサン   

大王の帝王教育

 J.J.クヴァンツと、大バッハの戸籍上の三男・C.Ph.E.バッハを擁したプロイセンの大王フリードリッヒII世は、王子のころ、軍拡一辺倒で芸術を顧みない父王から逃れ家出して捕まり、随行の友人の斬首を見せられるような帝王教育を受け、軍略家に育った。にもかかわらず、祖母由来でベルリンに現存する、佛工匠マリゥス作の折りたたみクラヴサン(1700‐4, Marius, Jean:拙著『便覧下巻』p.48)を従軍用に使い、作曲をし、フルート演奏は辛口の英人バーニー博士に認められるほどだった。

フルートの名手と音楽の遺産
 つまり、アマ=下手ではない例。国務や軍事をこなしゲーテやカントにも讃えられ、フルートの名手となった大王の「日課」は、練習もままならない日本の愛好家をインスパイアするかもしれない(上掲『…クラヴィーア考』p.26〜8)。 J.S.バッハとの関わりから生まれた《音楽の捧げもの》は、貴重な音楽の遺産として残された。

               DrBurney.jpg バーニー博士

大王の日々

 午前3時に起床した大王は、午前中に政務と軍事訓練をし、午後から夕方は芸術、学問、社交。午後10時に就寝したというから、睡眠時間は6時間。ナポレオンも短い睡眠時間だったらしいが、大王の日課は超人的である。

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-4

  宮廷専属にはなれなかったが、モーツァルトも相手に合わせ、通奏低音解読譜付クラヴィーア協奏曲K.246《リュッツオウ》(下掲譜)(『…クラヴィーア考』p.23/36)のようなやさしい作品を書きながら、《ジュピター》等の並みのアマ・オケでは歯が立たない曲も書いており、モーツァルト曲はどれでもとは言えない。

モーツァルトの数字解読譜
k246.jpg
 現代では、この曲がモーツァルトの「ピアノ」協奏曲として演奏されるとき、冒頭からソロの始まる第37小節までのテュッティ部分のソリストはじっとして、何もしない。しかし、当時のソリストは通奏低音奏法で左手はバス声部、右手は概ね4声となる和音を弾いた。その証(あかし)になるのがこのK.246《リュッツオウ》で、モーツァルト自身の手になる解読譜の和音が書かれている。旧・モーツァルト全集は解読譜が無いうえ、第37小節まで休符の連続である。バロック以降数字付き低音技法が伝承され、モーツァルト自身による唯一の解読譜があるK.246は貴重。 この《リュッツオウ》が作曲された頃、ザルツブルクにまだピアノはなく、ソロ楽器は「チェンバロ」で演奏された。
 オープニングのテュッティでソリストが背景和音を演奏する数字が書かれている曲は、K.246のほかK.37、238、271、413~15、449など多数ある。一方K.39やK.365(2台コンチェルト)K.595には無い。自分がソロを弾くときは書かなかったと思われるが、K.450に無くK.451にあるなど、一口に言えない。概ね後期コンチェルトは数字記入曲がすくない。
 ちなみに、《リュッツオウ》は私・野村の指揮するアンサンブル・シェーンフェルトが2003年9月7日(日) パルテノン多摩小ホールで演奏した。


イージー・コンチェルト
  リュッツオウ伯爵夫人アントーニアの技量に合わせた協奏曲《リュッツオウ》はイージー・コンチェルトとしても知られている。これに似てバロック時代、宮廷で音楽好きの主人に仕えた作曲家の残した作品は、アマチュア・ライクなものが多い。フリードリッヒ大王とクヴァンツの関係は例外だが…往時の宮廷楽師の務めから遺された楽曲は古楽の贈りものである。

  ツンドク読書のように楽譜集めだけに終わるのも残念だが、現実の日本には熱心な愛好家であっても勤務や家事多忙で練習もままならず、音楽のある生活が十分ではない状況もあるだろう。「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん」と詠う『梁塵秘抄』の子供ばかりでない、ブラック企業に捕まった大人の「社会問題」もからめ、何のため生きているのか考えさせられる。 同じ敗戦から復興した現代ドイツでは、午後8時以降開いている商業施設は殆ど無い。

Clavecin brisé 
フランスの工匠マリウス作・折りたたみクラヴサン。フランス語では「クラヴサン・ブリゼ」。意外にもイタリア起源のモデル。フリードリッヒ大王は戦地でも愛用した。

 80年代だったか、ウデをあげてきた故・柴田君があるとき、「折りたたみクラヴサン(上)製作を考えている」と発言、少々驚いたことがある。

つづく

連載4  昔のピッチについて 

               無題
 
プレトリゥスの記述から
 ミヒャエル・プレトリゥス(上)は、高めのカマートン(a1=約455Hz)の用法を唱えましたが(1619年)、低いルネサンス・ピッチすなわち彼のコアートン(a1=約410Hz)についても書き、大型楽器は、彼のカマートンまたはa1=約362Hz(現代のa1より3半音低いF♯相当)であると明記しています。さらに、「昔の英国と、今でもオランダでは、ほとんどの管楽器は我々のカマートンより短三度低い。アントワープの素晴らしい楽器工匠・ボスJohannes Bossus(=Hans Bos 上巻p.26/下巻p.127/128/148)は、大部分のチェンバロとスピネットを当地のオルガンと同じような低いピッチで作っている」と記しており、当時、アントワープ製のチェンバロやオルガンは低ピッチであったとみられます。

ピッチの変動期
 プレトリゥス時代の十七世紀初期、ピッチは変動期を迎え、派生音を使う曲が流行し始め、イタリアのモデルは短い弦長への改造が進み、 ルッカース楽器特有のトランスポージング・ダブルのように、鍵盤メカニズムを変えてまでして実行された調性システムへの対応は旧式となり、1630年頃以降、多くの初期イタリアンが「1✕8'」あるいは「1✕4' +1✕8'」から「2✕8'」に改造されました。その仕様改造要求は、モードによる線的書法(対位法的)楽曲から通奏低音奏法へ移行した時代の流れも関連していたようです。現存トランスポージング・ダブルの最終製作年は1646 年(下巻p.75/104) です。

文中、上巻・下巻.とあるのは東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』上巻・下巻の略。


つづく

チェンバロのお披露目コンサート

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  9月23日(日)はアンサンブル・シェーンフェルトの練習日。私・野村の新作スピネット(上)のお披露目と、それを使う団員によるミニ・コンサートを開きました。

前回のお披露目 http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-562.html ではミニ・コンサートをしませんでしたが、転用したフランス語のモットーを勉強しました。

 今回転用したモットーはラテン語の二つ。いずれも音楽の素晴らしさを詠んだものです。

MVSICA DONVM DEI (音楽は神の贈りもの) 

           と、               1521モットー クリックで拡大


 このあとのモットーの書かれたオリジナル楽器は、かつて世界最古のイタリアンとみなされていたロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館 蔵、1521にローマで製作された Hieronymus, Bononiensis 一段 です(下)。 クリックで拡大

15211.jpg  インナー・アウターの前蓋を開けて正面から二行連詩を見ると(下)。
 15212.jpg

  ASPICITE VT TRAHITVR SVAVI MODVLAMINE VOCIS
   QVICQVID HABENT AER SIDERE TERRA FRETVM

     HIERONIMVS BONONIENSIS FACIEBAT ROMAE MDXXI

   見よ 妙なる楽の音でいかに感動するかを
  天空 星 大地 海洋につながるもの全てが

     1521年 ローマにて Hieronimus Bononiensis製作

「かつて世界最古のイタリアンとみなされていた」事情は、別著『チェンバロ クラヴィコード オリジナル楽器便覧』― 上巻69頁 に注目楽器として既述してあります。ところが、その後イタリアのシエナ、キージ音楽アカデミーで更に古い楽器が発見されます。解説の一部を以下に引用します。

 因みに、D. Wraightの報告(‘Vincentius and the eariest harpsichord’, Early Music Vol. 14 (1986), Nov. p.534.)によれば、1515-16, Vincentius、つまりVincentiusによって「1515年9月18日に作り始めた」と響板裏面に記入され、現音域C, D ~ d3 の2× 8' 一段鍵盤チェンバロ(オリジナルはC/E~f3 音域、1x8'  伊 シエナ、キージ音楽アカデミーAcademia Chigiana蔵⇨Wa. p.91)が、今のところ作者・製作年の記銘された最古楽器。
 最初期残存チェンバロがイタリアのものと思われがちだが、出自・製作年が明らかなものはそうであっても、チェンバロの起源は『アルノー手稿(1440年頃‥下巻p.37 参照)』或いは1480年頃のクラヴィチテリウム(南獨製?ロンドン;王立音楽大学蔵 上巻p.66 参照)の存在からみてアルプス以北らしい。

 同ページの「《メモ》イタリアンの弦長スケール・弦材・ピッチ」も、小ブログ連載中の「昔のピッチについて」と関連していますのでご参照下さい。
 古楽器研究シリーズ 5  『チェンバロ クラヴィコード関係用語集』 285頁 には、チェンバロやクラヴィコードで用いられたモットーを紹介してあります。
 上記文中、上巻下巻とあるのは、東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』の上下巻の略記です。

      


つくば バッハの森でピリオド・ピアノのコンサート

岩村かおるさんには 2005年、デン・ハーグのへメンテ博物館で遭遇しました。
ハーグの 博物館学芸員は当時、フォルテピアノの研究で名高いラッチャム氏。アーリー・ミュージック誌上の論争はなかなか迫力のあるものでした。論点は

 「ワルター・ピアノについているダンパー上げ膝レバーはモーツァルトの生前からのものか死後つけたものか」

ウィーンのエヴァ・バドゥラ・スコダ VS ラッチャム学芸員。

その要約は小ブログ、

http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-25.html

を御覧下さい。
 
 岩村かおるさんは、ラッチャム氏に指導を受ける立場でへメンテ博物館へ、そこへ偶然私・野村がある調査で行き合わせたわけです。ある調査とは、60年もへメンテが収蔵していた偽造イタリアンが放出されて浜松の楽器博物館の収蔵品になった経緯を調べるためです。上記、エヴァ・バドゥラ・スコダ との論争をラッチャム氏からの視点で伺うことも目的でした。

さて、岩村さんとしばらく無音でしたが、つくばでコンサートを開く旨、先日メールが来信しました。

 「 皆さま、 オランダはもう19度の日もちらほらあり、グレーの長い冬越しに備えて、太陽に照らされる日向がすでに恋しいです。
  この秋、10月21日につくば市のバッハの森という所でリサイタルをさせて頂ける運びとなりました。音楽学者で、オルガニストの奥様をお持ちだった方が、個人の敷地にオルガンを備えるために建てた、まるで教会のような奏楽堂です。ここは「バッハの森」という名で、地元ではバッハの音楽愛好家の集まりなどで知られています。

日時:2018年10月21日(日)
開演:2時半(2時開場)
場所:「バッハの森」
住所:つくば市東光台2−7−9

プログラム:ベートーヴェン、デュセック、フィールド、クレメンティ
エグベルツ「フォルテピアノのためのインベンション」日本初演

 オリジナルのピアノを運び込んでの、ソロリサイタルです。 手中に収まるようなピアノと高い天井で木目の温かみのある素晴らしい会場、どんな素敵な響きが生まれるか、とても楽しみにしております。

 遠方かと存じますが、ご都合がつくようでしたら、お友達をお誘い合わせの上お越しいただけましたら幸いです。予約は私の個人メール kaoruiwamura3@gmail.com でも受け付けています。
 季節の変わり目、どうぞご自愛ください。お会いできましたらとても嬉しいです。」
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 では、リーフレットを紹介しましょう。

tukuba.jpg   tukuba クリックで拡大

 小百合ちゃんの帰国コンサート《フランスの色彩》もそうでしたが、演奏曲が生まれた母国で修行した若い人々のコンサートはとても楽しみです。

川崎市麻生区の区役所ロビーで

<トワイライト・コンサート>

 私・野村の住む川崎市麻生区は「音楽のまち」をめざして、平成18年7月から区役所ロビーにグランド・ピアノを常設。それを活用して、夕方にちょっとした演奏会を不定期に開催しています。名づけて「トワイライト・ミュージック」。ロビーは響きが良くて心地よく演奏できます。
 近く、百合ケ丘シュランメルンのトワイライト・ミュージック出演が決まりました。

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とき: 平成30年9月21日(金) 4:20~5:00
ところ:麻生区役所ロビー(新百合ヶ丘駅 徒歩2分)


問い合わせ:麻生区役所 地域振興課 しんゆり・芸術のまち担当
住所:郵便番号 215-8570 川崎市麻生区万福寺1-5-1
電話:044-965-5370  FAX:044-965-5201

フランスの色彩 コンサート・レビュー

今年はF.クープラン生誕350年      013.jpg

 ブリュッセルとパリで活動中の仲間(2つのヴァイオリンとトラヴェルソ、ガンバの5人)と小百合ちゃんのチェンバロを組んだ「フランスの色彩」という名のコンサート、昼間の会に行ってきました。東京は、まだまだ残暑厳しい日の午後でした。

 久保田工房製の螺旋脚、17世紀モデルの使用チェンバロもぴったりです。
15分の休憩を挟んで、フランスものをギュッと楽章の切れ目なく演るコンサートは稀なので、それなりに演奏者の「気晴らし」がうかがえて結構でした。後半のプログラムでいいますと、リュリ氏のトンボー全楽章を切れ目なく、つまりアタッカで演奏するので、2曲目のムーレの《2本のトラヴェルソのためのソナタ》で演奏者が入れ替わり、ルベルの曲が終わったことに気付いた方も居たのではないでしょうか。ラストのクープランの《諸国の人々》は、舞曲の曲数も多く、拍子感で楽章の変わり目が分かるという具合でした。
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J.マッテゾン(『新設のオーケストラ:今日の伊英仏独の音楽の相違』(1713年)でキルヒャーの次の言葉を引用しているので気になったのですが、
 『フランス人から舞踏音楽の様式とエキゾチックな三拍子によって豊かにされた書法を学ぶことができる・・・」
というわけで、舞曲の切れ目なしの羅列は、舞曲の基本リズムも定かでない日本の一般聴衆にとってキルヒャーの助言どころではなくなってしまうのではと思いました。
 
 さて、帰宅後小百合ちゃんとメール交換をしました。
 「邦人の世界進出が盛んだけれど、形から例えれば江戸時代の古曲を外人が演るような感じで、あちらでは珍しがられることはないのかな、と余計なことを思ったりして…・

野村先生、
早速にどうもありがとうございます。本日が休日であったためお電話も恐縮かとメールをさせて頂きました。
 先生の仰られる通り、外国人の私達がヨーロッパの音楽をするのは何だか不思議な感じがあります。実際に私自身も悩んだ時期があったのですが、私達の日本人カルテットのグループがヨーロッパで喜ばれる理由の一つには、どうやら日本特有の緻密さを持って西洋音楽を弾くと、西洋人の作るものと違ったものが聞こえて来て面白いのだそうです。
自分達ではそこは弱点だと思っているのですが..。
                                        小百合


このあと、11月14日(水)には旧古河庭園で「あやめAYAME」という名の4人グループが、

<クァルテット in Paris フランス貴族たちのお喋り>   001.jpg


というコンサートを開く予定だそうです。

連載3  昔のピッチについて 

昔のピッチについて 連載3 です。

 ロンドンの王立音楽大学(RCM)のコレクションに、大胆なポーズのヴィーナスとキューピットが描かれた1531年作、アレッサンドロ・トラスンティーノ(下)があります。この楽器の製作年は、下記のプレトリウスの『音楽大全』より88年も古いことに注目!
                      
                       1531Trasuntino.jpg  クリックで拡大

 この楽器は、現状が「2✕8' 」仕様、弦長スケール276 m/m、音域はG1/B1 ~ c3ですが、オリジナルはおそらく弦長スケール356 m/mのC/E~f3 音域で、「1✕4' +1✕8' 」とみたミッチェルは、現状楽器と、内部補強部材を使わないオリジナル楽器の2台を工匠・カッツマンJoel Katzman に製作依頼して比較実験した結果、後者を現代ピッチより長三度低い a1= 348Hz(現代の F 相当)にすることで素晴らしく成功したという報告をしました(Nicholas Mitchell, “ The 1531 Trasuntino harpsichord in a universal European pitch system ”, Harpsichord & fortepiano Vol.9 / 1, Spr. 2001, p.7.)。この 348Hz という周波数は、このあと見ていただく『楽音の物理』(Josephs著)の表には出ていない値です。

               無題 

 ミヒャエル・プレトリゥス(上)は、高めのカマートン(a1=約455Hz)の用法を唱えましたが(1619年)、低いルネサンス・ピッチすなわち彼のコアートン(a1=約410Hz)についても書き、大型楽器は、彼のカマートンまたはa1=約362Hz(現代のa1より3半音低いF♯相当)であると明記しています。

文中、上巻・下巻.とあるのは東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』上巻・下巻の略。


つづく