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資料  a1の振動数を比較した一覧表

 史上 有名な《音楽の捧げもの》誕生のきっかけとなった大バッハのサンスーシー宮殿訪問ではどのようなピッチだったのでしょうか。

           大王の奏楽 大王の奏楽

 下表には収載していませんが、宮殿の主・フリードリッヒ大王に仕えたクヴァンツが「大王のフルートを、残ったジョイントで作ると演奏にベスト」と書いたので、残存ジョイントで構成したフルートのピッチから、何事も大王中心に動いた背景を考えますと、大バッハの息子、C. Ph. E. バッハの弾いたチェンバロと初期ピアノはa1= 395Hzであったと見られます。このピッチは、1713年の英国・トリニティカレッジのオルガンや、1789年のヴェルサイユ宮殿の礼拝堂のオルガンのピッチとほぼ同一です。


フランスのバロック時代のピッチを考える前に、a1の振動数を比較した一覧表を御覧下さい。
 通常、オルガンは調律でパイプが短くなることを反映して高いピッチですが、時代が下ると次第に一般の使用ピッチが上昇していることが下表からわかります。

a1の振動数を比較した一覧表
                 東京コレギウム刊 『チェンバロの保守と調律補遺篇』から転載

つづく

連載6  昔のピッチについて  440 or 415 Hzは二者択一でいいのか

いま、「440 or 415 Hzは二者択一でいいのか」 を考えています。 

 イタリアのルネサンス期、ロング・スケールのチェンバロは大まかに分けると、スケーリングが前述のようにほぼc2= 310mmまたは340mm強という全音差ピッチの2種類になります。それら楽器のうち、1620年以前に作られたc2= 300mmより長めのロング・スケール楽器は160台の現存楽器中72.5%の116台であるのに、1650~1800年間のロング・スケール楽器は115台中僅か17.4%の20台に減少しています。
 イタリアンの構造・製法は殆ど変らなかったので、このスケーリング変遷は筐体構造上の変更によるものではなく、十六~七世紀に「ラジカルなピッチ変動」があったことを示唆するものとみられます。有名なプレトリゥスのテアトルム・インストゥルメントルムの図版に、スケール付で描かれている鍵盤楽器の姿(下)はピッチ変動期のものです。

       prae4度低いcem2   クリックで拡大

 興味深いことに、上記全音差ピッチの2種の楽器で五度上四度上へ移調演奏すると、ミッチェルのいう「汎ヨーロッパ・ピッチ・システム」計4 種類の移調ピッチにアプローチできます。

 音楽先進国だったイタリアの十六世紀後半以後に作られた、現代のa1 より3~5半音低いチェンバロやスピネットが残っています。 ヴェネツィアで作られた1574年(下)と1579年(パリ コンセルヴァトワール蔵)のジョヴァンニ・アントニオ・バッフォ製作の大型楽器は重要で、オリジナルは現代ピッチより7半音低く、ディスポジションは4'+8' 仕様でした。

   1574.jpg
    ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 拙著『オリジナル楽器便覧』上巻74頁参照。

 因みに、古いイタリアンの仕様は、現在多く見られる2✕8' ではなく、上掲バッフォ楽器のように1✕4' + 1✕8'、 あるいは1✕8' から始まります。

イタリアのピッチ変動期 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十七世紀前半、イタリアで新しい楽器のスケーリングが変動期を迎え、派生音を使う曲が流行し始め、短い弦長への改造が進みます。それらの楽器は、前世代楽器よりほぼ四度高く(現代ピッチより半音下に)なります。その後、アルプス以北のヨーロッパで中音域と高音域の真鍮弦用法から、鉄弦用法が標準となり、イタリアの十七世紀楽器と十六世紀楽器の多くが、新しい十七世紀楽器の短弦長スケールに改造したか、取り換えられながら2✕8' 仕様に移行します。十七世紀末、ヴァチカンがa1=約400Hzの基準化を試行したさい、「ヴェネツィアや他の北部イタリアから来た器楽奏者は、ローマでの演奏音より全音低くしなければならなかった」という記録を残しています。
 十六世紀の半ばにピッチは現代のa1= 440Hzの下半音、または全音低くなり(現代ピッチのA♭ またはG )、それまでより高めのこの新しいピッチは、昔の古いピッチと共存して十七世紀から十八世紀の終りまで続きます。1500~1800年の間のチェンバロは多種類のピッチがありましたが、大部分はある一定のピッチ伝承を尊重していたようです。
 十六世紀のチェンバロは移調できる楽器とみなされ、ルネサンス・ピッチ(a1= 410 Hzと455Hz)よりほぼ四度低いものでした。
ルッカース時代 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十六世紀後期のアントワープで、現代ピッチのa1= 440Hzより1半音~2半音下の、多分イタリアの場合より僅かに高いa1= 385Hzと415Hzの間のチェンバロが作られ始めます。ルッカース研究の泰斗オブライエンは、その415Hzを「R(リファレンス)ピッチ」と名付け、a1= 415Hzが、現代のバロック・ピッチのひとつになることを正当化しました。

つづく 次回は、バロック時代のドイツのピッチを考えます。

多田逸郎先生 のこと

追悼 多田逸郎先生
  2017年6月にお見舞いして1年足らずの本年5月1日、多田逸郎先生は亡くなられました。
 教職も長く務められたので、間然なき先生の生き方と人生は無言のうちにも、音楽にかぎらずいろいろな領域で教えられた人は多いのではないかと思います。
 教育大(筑波大)付属高校から都立藝術(総合芸術)高校、東京藝大での「西洋古楽演習」など、授業の記録をお送りいただいたときは、実施内容の充実ぶりに驚かされました。都立藝術高校で先生の後任となった私・野村にとっても、私淑して止まない方でした。

奥津城訪問
 カトリックでは11月が我が国のお盆のように、死者を回顧し偲ぶ月だそうです。11月18日、教育大付属高校時代の同僚だったS先生に同乗いただいて私が運転、八王子市郊外のカトリック五日市霊園に墓参してきました。 霊園内区画は「カトリック上野教会使用墓地・第8区12・14・23・24番」。JR利用なら五日市線・武蔵増戸駅から徒歩15分です。

バロック一期生
 1960年代、我が国ではバロック・ブームといえるさまざまな動きがありました。イ・ムジチ合奏団によるLpレコード《四季》の売れ行きは盛んで、今でこそオーセンティックな楽器を使う「古楽」が定着していますが、藝大助教授だった服部幸三先生が世話役の「東京バロック音楽協会」のコンサートでは、モダンのチェンバロを当然a1=440で使い、ガンバの代わりにチェロの使用はいいけれど、ネックに糸を巻きフレットをつけるなどしていました。
 その演奏会のリコーダー奏者が多田逸郎先生でした。ドイツ留学中に師事したシェック博士との共演時代を画した演奏会でした。シェック博士からトヤマ楽器に貸与されて以来、飛躍的に日本製リーコーダーの音が向上します。
 その頃、多田先生に出会った私はチェンバロ研究を始めた頃で、山田貢氏をご紹介頂き研究会を開き、今は旧聞になっているJohn D. Shortridgeの書いた『Italian Harpsichord-Building in the 16th and 17th Centuries』を訳し、故・堀さん、故・柴田雄康君とともにイタリアンのスケーリングを勉強していました。まさに日本における歴史チェンバロ製作研究の幕開けの時期でした。

 堀さん、市川君、 服部幸三先生、柴田雄康君に次いで多田先生が逝去、一つの時代が終わった感慨です。

多田教室
多田教室の種まき  
 多田逸郎先生が渋谷で開講された「リコーダー教室」の受講生に、いま大御所の大竹尚之さんほか故・佐々木節夫/松田世紀夫/三間久道/山岡重冶の諸氏がいて、その人脈を見るだけでも多田教室の果たした役割は大きかったといえるでしょう。

著 作
 それだけではありません。実践的な著作が多く、愛奏された方は多いのではないでしょうか。以下は主要なものです。

多田著作2   はじめての出版物。アカデミア・ミュージック刊   多田著作1  多田シリーズの第1巻 全音楽譜 

多田著作4  タイトルは『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』全音楽譜。下掲の原書は、ヘンデルが才能豊かなアン王女のために通奏低音の導入から、フーガ‥カノンの高度なレベルまで課題を書いたテキストで、これをコナセないと古楽演奏家とはいえません!!

多田著作3 上掲の『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』の原書(オックスフォード出版局刊)表紙。絵画写真ばかりか、色使いまで再現。
 
In questa tomba oscura lasciami riposar, (Beethoven WoO 133)


                         

連載5  昔のピッチについて 

ピッチの変遷とチェンバロのc2 弦長

            RCM 4
             工匠不詳の現存最初期楽器 RCM蔵
最初期楽器
 上掲の工匠不詳の現存最初期楽器( 王立音楽大学 RCM蔵:上巻p.66に詳細 )や下掲の『アルノー手稿』(下巻p.37に詳細) からうかがえるプロトタイプの誕生以来、チェンバロはソロや合奏に使われ、当然そのピッチは他楽器との関係で決まり、間もなく主導的楽器としての地位を得ます。

          アルノークラヴィシンバルム1 (2)   『アルノー手稿』の中のチェンバロとアクションを解説した頁

弦の性質と長さからピッチを類推
 さらに、カーボン成分を含ませる現代のピアノ線とは異なり、燐(phosphorus)成分が含まれ、断弦し易い昔のチェンバロでは、弦長・ピッチ間に許容される自由度はさほど大きくなく、通常、適度な長さがあってピタゴリアン・スケールを適用し易い音域の代表音として、c2(2点ハ音)の「弦長スケール(スケーリング)」が演奏ピッチをかなり反映するとみなし、その弦長計測値は昔の「ピッチ・レベル」を推計する拠り所になっています。そして、チェンバロの弦長は、工匠の個人的な好みで決められたかのように思われていましたが、各工房は常にかつ正確に基準を守り、共通スケールを用いていたことが近年のオブライエンレイトの研究からみえてきました。チェンバロの弦スケールからみたピッチ類推も可能なのです。また、オリジナル古楽器のチューニング・ピンに残っていた残存弦の冶金学的分析により、主要なタイプの弦の限界的な弦張力と破断点が明らかになっていますので、計測可能な弦長スケーリングから過去のピッチが類推できるのです。

つづく

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-5

前回からの続き

 80年代だったか、チェンバロ作りのウデをあげてきた故・柴田君があるとき、「折りたたみクラヴサン製作を考えている」と発言、少々驚いたことがある。
                  Clavecin brisé Clavecin brisé=折りたたみクラヴサン   

大王の帝王教育

 J.J.クヴァンツと、大バッハの戸籍上の三男・C.Ph.E.バッハを擁したプロイセンの大王フリードリッヒII世は、王子のころ、軍拡一辺倒で芸術を顧みない父王から逃れ家出して捕まり、随行の友人の斬首を見せられるような帝王教育を受け、軍略家に育った。にもかかわらず、祖母由来でベルリンに現存する、佛工匠マリゥス作の折りたたみクラヴサン(1700‐4, Marius, Jean:拙著『便覧下巻』p.48)を従軍用に使い、作曲をし、フルート演奏は辛口の英人バーニー博士に認められるほどだった。

フルートの名手と音楽の遺産
 つまり、アマ=下手ではない例。国務や軍事をこなしゲーテやカントにも讃えられ、フルートの名手となった大王の「日課」は、練習もままならない日本の愛好家をインスパイアするかもしれない(上掲『…クラヴィーア考』p.26〜8)。 J.S.バッハとの関わりから生まれた《音楽の捧げもの》は、貴重な音楽の遺産として残された。

               DrBurney.jpg バーニー博士

大王の日々

 午前3時に起床した大王は、午前中に政務と軍事訓練をし、午後から夕方は芸術、学問、社交。午後10時に就寝したというから、睡眠時間は6時間。ナポレオンも短い睡眠時間だったらしいが、大王の日課は超人的である。

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-4

  宮廷専属にはなれなかったが、モーツァルトも相手に合わせ、通奏低音解読譜付クラヴィーア協奏曲K.246《リュッツオウ》(下掲譜)(『…クラヴィーア考』p.23/36)のようなやさしい作品を書きながら、《ジュピター》等の並みのアマ・オケでは歯が立たない曲も書いており、モーツァルト曲はどれでもとは言えない。

モーツァルトの数字解読譜
k246.jpg
 現代では、この曲がモーツァルトの「ピアノ」協奏曲として演奏されるとき、冒頭からソロの始まる第37小節までのテュッティ部分のソリストはじっとして、何もしない。しかし、当時のソリストは通奏低音奏法で左手はバス声部、右手は概ね4声となる和音を弾いた。その証(あかし)になるのがこのK.246《リュッツオウ》で、モーツァルト自身の手になる解読譜の和音が書かれている。旧・モーツァルト全集は解読譜が無いうえ、第37小節まで休符の連続である。バロック以降数字付き低音技法が伝承され、モーツァルト自身による唯一の解読譜があるK.246は貴重。 この《リュッツオウ》が作曲された頃、ザルツブルクにまだピアノはなく、ソロ楽器は「チェンバロ」で演奏された。
 オープニングのテュッティでソリストが背景和音を演奏する数字が書かれている曲は、K.246のほかK.37、238、271、413~15、449など多数ある。一方K.39やK.365(2台コンチェルト)K.595には無い。自分がソロを弾くときは書かなかったと思われるが、K.450に無くK.451にあるなど、一口に言えない。概ね後期コンチェルトは数字記入曲がすくない。
 ちなみに、《リュッツオウ》は私・野村の指揮するアンサンブル・シェーンフェルトが2003年9月7日(日) パルテノン多摩小ホールで演奏した。


イージー・コンチェルト
  リュッツオウ伯爵夫人アントーニアの技量に合わせた協奏曲《リュッツオウ》はイージー・コンチェルトとしても知られている。これに似てバロック時代、宮廷で音楽好きの主人に仕えた作曲家の残した作品は、アマチュア・ライクなものが多い。フリードリッヒ大王とクヴァンツの関係は例外だが…往時の宮廷楽師の務めから遺された楽曲は古楽の贈りものである。

  ツンドク読書のように楽譜集めだけに終わるのも残念だが、現実の日本には熱心な愛好家であっても勤務や家事多忙で練習もままならず、音楽のある生活が十分ではない状況もあるだろう。「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん」と詠う『梁塵秘抄』の子供ばかりでない、ブラック企業に捕まった大人の「社会問題」もからめ、何のため生きているのか考えさせられる。 同じ敗戦から復興した現代ドイツでは、午後8時以降開いている商業施設は殆ど無い。

Clavecin brisé 
フランスの工匠マリウス作・折りたたみクラヴサン。フランス語では「クラヴサン・ブリゼ」。意外にもイタリア起源のモデル。フリードリッヒ大王は戦地でも愛用した。

 80年代だったか、ウデをあげてきた故・柴田君があるとき、「折りたたみクラヴサン(上)製作を考えている」と発言、少々驚いたことがある。

つづく

連載4  昔のピッチについて 

               無題
 
プレトリゥスの記述から
 ミヒャエル・プレトリゥス(上)は、高めのカマートン(a1=約455Hz)の用法を唱えましたが(1619年)、低いルネサンス・ピッチすなわち彼のコアートン(a1=約410Hz)についても書き、大型楽器は、彼のカマートンまたはa1=約362Hz(現代のa1より3半音低いF♯相当)であると明記しています。さらに、「昔の英国と、今でもオランダでは、ほとんどの管楽器は我々のカマートンより短三度低い。アントワープの素晴らしい楽器工匠・ボスJohannes Bossus(=Hans Bos 上巻p.26/下巻p.127/128/148)は、大部分のチェンバロとスピネットを当地のオルガンと同じような低いピッチで作っている」と記しており、当時、アントワープ製のチェンバロやオルガンは低ピッチであったとみられます。

ピッチの変動期
 プレトリゥス時代の十七世紀初期、ピッチは変動期を迎え、派生音を使う曲が流行し始め、イタリアのモデルは短い弦長への改造が進み、 ルッカース楽器特有のトランスポージング・ダブルのように、鍵盤メカニズムを変えてまでして実行された調性システムへの対応は旧式となり、1630年頃以降、多くの初期イタリアンが「1✕8'」あるいは「1✕4' +1✕8'」から「2✕8'」に改造されました。その仕様改造要求は、モードによる線的書法(対位法的)楽曲から通奏低音奏法へ移行した時代の流れも関連していたようです。現存トランスポージング・ダブルの最終製作年は1646 年(下巻p.75/104) です。

文中、上巻・下巻.とあるのは東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』上巻・下巻の略。


つづく

チェンバロのお披露目コンサート

image4.jpeg

  9月23日(日)はアンサンブル・シェーンフェルトの練習日。私・野村の新作スピネット(上)のお披露目と、それを使う団員によるミニ・コンサートを開きました。

前回のお披露目 http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-562.html ではミニ・コンサートをしませんでしたが、転用したフランス語のモットーを勉強しました。

 今回転用したモットーはラテン語の二つ。いずれも音楽の素晴らしさを詠んだものです。

MVSICA DONVM DEI (音楽は神の贈りもの) 

           と、               1521モットー クリックで拡大


 このあとのモットーの書かれたオリジナル楽器は、かつて世界最古のイタリアンとみなされていたロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館 蔵、1521にローマで製作された Hieronymus, Bononiensis 一段 です(下)。 クリックで拡大

15211.jpg  インナー・アウターの前蓋を開けて正面から二行連詩を見ると(下)。
 15212.jpg

  ASPICITE VT TRAHITVR SVAVI MODVLAMINE VOCIS
   QVICQVID HABENT AER SIDERE TERRA FRETVM

     HIERONIMVS BONONIENSIS FACIEBAT ROMAE MDXXI

   見よ 妙なる楽の音でいかに感動するかを
  天空 星 大地 海洋につながるもの全てが

     1521年 ローマにて Hieronimus Bononiensis製作

「かつて世界最古のイタリアンとみなされていた」事情は、別著『チェンバロ クラヴィコード オリジナル楽器便覧』― 上巻69頁 に注目楽器として既述してあります。ところが、その後イタリアのシエナ、キージ音楽アカデミーで更に古い楽器が発見されます。解説の一部を以下に引用します。

 因みに、D. Wraightの報告(‘Vincentius and the eariest harpsichord’, Early Music Vol. 14 (1986), Nov. p.534.)によれば、1515-16, Vincentius、つまりVincentiusによって「1515年9月18日に作り始めた」と響板裏面に記入され、現音域C, D ~ d3 の2× 8' 一段鍵盤チェンバロ(オリジナルはC/E~f3 音域、1x8'  伊 シエナ、キージ音楽アカデミーAcademia Chigiana蔵⇨Wa. p.91)が、今のところ作者・製作年の記銘された最古楽器。
 最初期残存チェンバロがイタリアのものと思われがちだが、出自・製作年が明らかなものはそうであっても、チェンバロの起源は『アルノー手稿(1440年頃‥下巻p.37 参照)』或いは1480年頃のクラヴィチテリウム(南獨製?ロンドン;王立音楽大学蔵 上巻p.66 参照)の存在からみてアルプス以北らしい。

 同ページの「《メモ》イタリアンの弦長スケール・弦材・ピッチ」も、小ブログ連載中の「昔のピッチについて」と関連していますのでご参照下さい。
 古楽器研究シリーズ 5  『チェンバロ クラヴィコード関係用語集』 285頁 には、チェンバロやクラヴィコードで用いられたモットーを紹介してあります。
 上記文中、上巻下巻とあるのは、東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』の上下巻の略記です。

      


つくば バッハの森でピリオド・ピアノのコンサート

岩村かおるさんには 2005年、デン・ハーグのへメンテ博物館で遭遇しました。
ハーグの 博物館学芸員は当時、フォルテピアノの研究で名高いラッチャム氏。アーリー・ミュージック誌上の論争はなかなか迫力のあるものでした。論点は

 「ワルター・ピアノについているダンパー上げ膝レバーはモーツァルトの生前からのものか死後つけたものか」

ウィーンのエヴァ・バドゥラ・スコダ VS ラッチャム学芸員。

その要約は小ブログ、

http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-25.html

を御覧下さい。
 
 岩村かおるさんは、ラッチャム氏に指導を受ける立場でへメンテ博物館へ、そこへ偶然私・野村がある調査で行き合わせたわけです。ある調査とは、60年もへメンテが収蔵していた偽造イタリアンが放出されて浜松の楽器博物館の収蔵品になった経緯を調べるためです。上記、エヴァ・バドゥラ・スコダ との論争をラッチャム氏からの視点で伺うことも目的でした。

さて、岩村さんとしばらく無音でしたが、つくばでコンサートを開く旨、先日メールが来信しました。

 「 皆さま、 オランダはもう19度の日もちらほらあり、グレーの長い冬越しに備えて、太陽に照らされる日向がすでに恋しいです。
  この秋、10月21日につくば市のバッハの森という所でリサイタルをさせて頂ける運びとなりました。音楽学者で、オルガニストの奥様をお持ちだった方が、個人の敷地にオルガンを備えるために建てた、まるで教会のような奏楽堂です。ここは「バッハの森」という名で、地元ではバッハの音楽愛好家の集まりなどで知られています。

日時:2018年10月21日(日)
開演:2時半(2時開場)
場所:「バッハの森」
住所:つくば市東光台2−7−9

プログラム:ベートーヴェン、デュセック、フィールド、クレメンティ
エグベルツ「フォルテピアノのためのインベンション」日本初演

 オリジナルのピアノを運び込んでの、ソロリサイタルです。 手中に収まるようなピアノと高い天井で木目の温かみのある素晴らしい会場、どんな素敵な響きが生まれるか、とても楽しみにしております。

 遠方かと存じますが、ご都合がつくようでしたら、お友達をお誘い合わせの上お越しいただけましたら幸いです。予約は私の個人メール kaoruiwamura3@gmail.com でも受け付けています。
 季節の変わり目、どうぞご自愛ください。お会いできましたらとても嬉しいです。」
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 では、リーフレットを紹介しましょう。

tukuba.jpg   tukuba クリックで拡大

 小百合ちゃんの帰国コンサート《フランスの色彩》もそうでしたが、演奏曲が生まれた母国で修行した若い人々のコンサートはとても楽しみです。

川崎市麻生区の区役所ロビーで

<トワイライト・コンサート>

 私・野村の住む川崎市麻生区は「音楽のまち」をめざして、平成18年7月から区役所ロビーにグランド・ピアノを常設。それを活用して、夕方にちょっとした演奏会を不定期に開催しています。名づけて「トワイライト・ミュージック」。ロビーは響きが良くて心地よく演奏できます。
 近く、百合ケ丘シュランメルンのトワイライト・ミュージック出演が決まりました。

921Twilight.jpg

とき: 平成30年9月21日(金) 4:20~5:00
ところ:麻生区役所ロビー(新百合ヶ丘駅 徒歩2分)


問い合わせ:麻生区役所 地域振興課 しんゆり・芸術のまち担当
住所:郵便番号 215-8570 川崎市麻生区万福寺1-5-1
電話:044-965-5370  FAX:044-965-5201

フランスの色彩 コンサート・レビュー

今年はF.クープラン生誕350年      013.jpg

 ブリュッセルとパリで活動中の仲間(2つのヴァイオリンとトラヴェルソ、ガンバの5人)と小百合ちゃんのチェンバロを組んだ「フランスの色彩」という名のコンサート、昼間の会に行ってきました。東京は、まだまだ残暑厳しい日の午後でした。

 久保田工房製の螺旋脚、17世紀モデルの使用チェンバロもぴったりです。
15分の休憩を挟んで、フランスものをギュッと楽章の切れ目なく演るコンサートは稀なので、それなりに演奏者の「気晴らし」がうかがえて結構でした。後半のプログラムでいいますと、リュリ氏のトンボー全楽章を切れ目なく、つまりアタッカで演奏するので、2曲目のムーレの《2本のトラヴェルソのためのソナタ》で演奏者が入れ替わり、ルベルの曲が終わったことに気付いた方も居たのではないでしょうか。ラストのクープランの《諸国の人々》は、舞曲の曲数も多く、拍子感で楽章の変わり目が分かるという具合でした。
007.jpg

J.マッテゾン(『新設のオーケストラ:今日の伊英仏独の音楽の相違』(1713年)でキルヒャーの次の言葉を引用しているので気になったのですが、
 『フランス人から舞踏音楽の様式とエキゾチックな三拍子によって豊かにされた書法を学ぶことができる・・・」
というわけで、舞曲の切れ目なしの羅列は、舞曲の基本リズムも定かでない日本の一般聴衆にとってキルヒャーの助言どころではなくなってしまうのではと思いました。
 
 さて、帰宅後小百合ちゃんとメール交換をしました。
 「邦人の世界進出が盛んだけれど、形から例えれば江戸時代の古曲を外人が演るような感じで、あちらでは珍しがられることはないのかな、と余計なことを思ったりして…・

野村先生、
早速にどうもありがとうございます。本日が休日であったためお電話も恐縮かとメールをさせて頂きました。
 先生の仰られる通り、外国人の私達がヨーロッパの音楽をするのは何だか不思議な感じがあります。実際に私自身も悩んだ時期があったのですが、私達の日本人カルテットのグループがヨーロッパで喜ばれる理由の一つには、どうやら日本特有の緻密さを持って西洋音楽を弾くと、西洋人の作るものと違ったものが聞こえて来て面白いのだそうです。
自分達ではそこは弱点だと思っているのですが..。
                                        小百合


このあと、11月14日(水)には旧古河庭園で「あやめAYAME」という名の4人グループが、

<クァルテット in Paris フランス貴族たちのお喋り>   001.jpg


というコンサートを開く予定だそうです。

連載3  昔のピッチについて 

昔のピッチについて 連載3 です。

 ロンドンの王立音楽大学(RCM)のコレクションに、大胆なポーズのヴィーナスとキューピットが描かれた1531年作、アレッサンドロ・トラスンティーノ(下)があります。この楽器の製作年は、下記のプレトリウスの『音楽大全』より88年も古いことに注目!
                      
                       1531Trasuntino.jpg  クリックで拡大

 この楽器は、現状が「2✕8' 」仕様、弦長スケール276 m/m、音域はG1/B1 ~ c3ですが、オリジナルはおそらく弦長スケール356 m/mのC/E~f3 音域で、「1✕4' +1✕8' 」とみたミッチェルは、現状楽器と、内部補強部材を使わないオリジナル楽器の2台を工匠・カッツマンJoel Katzman に製作依頼して比較実験した結果、後者を現代ピッチより長三度低い a1= 348Hz(現代の F 相当)にすることで素晴らしく成功したという報告をしました(Nicholas Mitchell, “ The 1531 Trasuntino harpsichord in a universal European pitch system ”, Harpsichord & fortepiano Vol.9 / 1, Spr. 2001, p.7.)。この 348Hz という周波数は、このあと見ていただく『楽音の物理』(Josephs著)の表には出ていない値です。

               無題 

 ミヒャエル・プレトリゥス(上)は、高めのカマートン(a1=約455Hz)の用法を唱えましたが(1619年)、低いルネサンス・ピッチすなわち彼のコアートン(a1=約410Hz)についても書き、大型楽器は、彼のカマートンまたはa1=約362Hz(現代のa1より3半音低いF♯相当)であると明記しています。

文中、上巻・下巻.とあるのは東京コレギウム刊の拙著『オリジナル楽器便覧』上巻・下巻の略。


つづく

昔のピッチ余談 ルネサンス期のアンサンブル


ルネサンス期のアンサンブル 結婚祝宴の記録から

 前回述べたように、王侯貴族の結婚祝宴で行われた音楽演奏の記録から使用楽器が分かることがあります。
今回はフィレンツェ、1589年、フランチェスコ・デ・メディチとクリスティーナの結婚祝宴です。

「結婚祝宴においてハープ(複数)、プサルテリー(=スピネット(複数)か?)、リュート(複数)、キタローネ(複数)、シターン、マンドラ、スペインのハープ、ナポリのギター、チェンバリーノ(銀の鈴で装飾された小型のチェンバロ。おそらくアルピコルドの一種)、

リーガル・オルガン 
リーガル・オルガン;小型のパイプによる室内オルガンと異なるリードによるオルガン


リーガル(上)と3台の室内オルガン…がすべての異なる楽曲に用いられた」と記録されています。20人にもなる当時としては大編成合奏。
 では、どのような曲がアンサンブルされたのでしょうか…

 結婚を祝って行われた喜劇芝居『ラ・ペレグリーナ(女巡礼)』の幕間の音楽として、クリストファノ・マルヴェッツィ(1547-97)作曲Sinfonia(シンフォニア)があります(1973年のリンデ・コンソート、ストックホルム室内合唱団がリリースしたEMI レコードによる)。

https://imslp.org/wiki/Sinfonia_from_Intermedio_1_(Malvezzi%2C_Cristofano)


つづく

コンサート フランスの色彩

F.クープラン生誕350年に寄せて

 2016年.5月に紹介しました 小百合ちゃんからメールが来信。

「実は私事で恐縮なのですが、この秋、9月8日(土)に近江楽堂にて、また11月14日(水)には北とぴあ国際音楽祭の公演として演奏会がございます・・・9月8日は、ルイ14世の時代に全盛期を迎えたダンスの要素や独特のビート感、トラヴェルソとヴァイオリンの音色など、様々な要素の融合によって生みだされるフランス特有の音の色彩を、トリオを中心にお届けするプログラム。特別な一日をお楽しみください!」

 前回2月の一時帰国のコンサートから半年を経て、来たる9月8日(土)、オペラシティ近江楽堂で、2つのヴァイオリン、トラヴェルソとチェンバロとガンバ、の6人からなるジョイントコンサートを開催する旨、案内をいただきました。
 出演者ほぼ全員がブリュッセルとパリにて活動中の仲間たちのようです。日本の酷暑に劣らず北ヨーロッパが暑いとは聴いておりましたが、元気に日本での活動が進み、何よりです。
 「ダンスの要素や独特のビート感」、なんといっても聞きどころはこれ。演奏会のコンセプト、出演者の規模からすれば、オペラシティ近江楽堂は少し狭いのでは?と思いますが。次回は踊り手と共演で!

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連載2  昔のピッチについて 

ルネサンス期には基準ピッチがあった?
  十六世紀のピッチ標準 ⦆⦆⦆⦆⦆  多様なピッチの管楽器やオルガンが残存するため、従来、ヨーロッパ各地に「地域別」標準ピッチ・レベルがあったとする解釈が一般的でした。それはピッチ標準が変化し始めた十七・八世紀音楽については概ね正しいが、ルネサンス期の楽器については「地域別」ではなく、コンソート楽器間にみられた複数ピッチからなるヨーロッパ共通の「組み合わせピッチ・システム」があったためとする説を紹介します。

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  チェンバロとしては最初期の1537年製/国立・ローマ楽器博物館 蔵 チェンバロ誕生の頃を語るとき話題になる1537年のハンス・ミューラー楽器(オリジナル楽器便覧 上巻p.100/下巻p.41参照) 下記のバイエルン公結婚式の31年前に作られた。

 ある地域で標準ピッチ・レベルが統一されていても、多様なピッチ楽器からなる混成アンサンブルでは、特に異種楽器間に移調が要求されたとき、ピッチ・システム標準化の必要性も生じたはずです。歴史を遡ってみましょう。
 イタリアと、世紀前半にアルプス以北で作られたチェンバロやスピネットがごく小数ですが12台残存しています。そのうちの1台が、チェンバロ史上最初期の一段鍵盤楽器ハンス・ミューラー(ライプツィッヒで1537年製作/国立・ローマ楽器博物館 Museo Nazionale degli Strumenti Musicali di Roma 蔵)があります(上)。この楽器は、鍵盤両端に移動できる空間があって、a1= 440Hzの下3半音、および下5半音の間のピッチになる構造です。
 ルネサンスの木管楽曲は、全音違う2種類のピッチ(およそa1= 455と410Hz)のミーントン律による容易に移調できる2種類のピッチで、上記ミューラー楽器の2種類のピッチより四度高く、そのピッチと十七世紀前半のルッカース二段鍵盤楽器のピッチは、現代のルネサンスのピッチ理解とほとんど一致しています。多くの十六世紀チェンバロは、少なくとも a1= 440Hzより4半音も低い現代の F 音に相当するピッチで、十七世紀半ばまで用いられました。
 現代ピッチより4半音低い、2半音低い、1半音高い、3半音高いという4セットが各地に共通の汎ヨーロッパのピッチ・システムであったという結論を得た英国の研究家ニコラス・ミッチェルは、十六世紀の様々な混合編成アンサンブルの例証からみて、ピッチ問題の証拠品にもなる木管・金管が、弦楽器・鍵盤楽器と合奏したのは明らかで、それには異種楽器間にピッチ標準設定の必要があり、ヨーロッパには共通ピッチ・システムがあったというのです(ギャルピン・ソサイエティ・ジャーナルGSJ, 2001,p.97.)。
 
傍証 結婚式のアンサンブル

        Beyern Duke  バイエルン公父子

 その傍証として1568年、バイエルン公の婚礼に欧州中から100人を超える演奏家が参集したこと(下巻p.146) を挙げています。使われたであろうリュートの調弦は、半音上げるだけでも弦更新が必要で全音の上げ下げはありそうもないし、やや柔軟なヴィオールでも調節可能な幅は小さく、楽弦のセット法はピッチ類推の重要なヒントになります。
本ブログ http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-471.html 参照

つづく

連載1  昔のピッチについて 

昔のピッチ研究 古楽器愛好家のために 
 
 古楽界の活動と昔のピッチは重要な繋がりがありながら、その問題を愛好家は敬遠しがちです。そこで、近年の知見を紹介しながら連載で詳しく解説してみましょう。

 ピッチとは
 ピッチの基準 ⦆⦆⦆⦆⦆  「標準(スタンダード)ピッチ」とは、ある特定の周波数に特定の音名を結び付けたもので、そのピッチからズレたほうが都合の良い楽器もあります。その場合、楽器によっては移調楽器あるいはコンソート楽器といいます。
 現在の標準的なピッチとされている a1= 440~442Hz を記憶して読譜学習したため、a1= 410~415Hz あたりに調律されるバロック楽器にすぐ対応できない聴覚をもつ現代人が増えています。ところが音楽文化の各領域同様、「ピッチ標準」は利便性や流行に左右されて変わりやすいので、多様なピッチに対応したバッハ 時代の音楽家は、少なくとも「絶対音高」の記憶はしていなかったでしょう。

           無題   ウィキペディアから

基準器具
 音叉 ⦆⦆⦆⦆⦆  いま現場では「ピッチ・レベル(周波数)」の決定に、音叉や電子機器を使います。基準器具のない時代のピッチ問題は、証拠となるものがしばしば掴みどころがなく不明な点が多いのですが、人類の作り出した傑作器具のひとつといわれる音叉の誕生は比較的遅く、バッハ 時代の英王室トランペット奏者・ショアJohn Shore による発明(1711年)とされ、ピッチの基準器具として使われました。オルガン管(笛)の歴史は古いけれど、風圧と温度の変化でピッチが容易に変動するので精密な基準器具とはいえません。
 そのショア作と伝えられる1715年頃の音叉は、a1= 419.9Hz。同時代の有名なヘンデルの音叉は、少々高い a1= 422.5Hz です。その後ピッチ基準は上昇を続け、現代までにa1 は20Hz以上上昇したことになります。楽器はともかく、上昇傾向は声楽家にとって大変ですので、標準ピッチを法律で決める国もあります。

つづく


相模原シティオペラ 《仮面舞踏会》

相模原シティオペラ 

ヴェルディの 《仮面舞踏会》
           仮面舞踏会

 ドイツ在住のヴァイオリン奏者石黒章君が、相模原シティオペラのオーケストラでコンサート・マスターを引き受けるので帰国。昨日、一年ぶりに新宿で再会しました。

 「どう? この酷暑。ヴェストファーレン州あたりは涼しいのでは?」
 「いやぁ、北部ヨーロッパ全体が暑くって、33度くらいになります。」

 これは怪談より怖い話だと私は思います。帰宅して見た夜のTVニュースでは、アメリカからカナダにかけても山火事が多発しているとか・・・・。

 以前、本ブログ・http://tokyocollegium.blog110.fc2.com/blog-entry-597.htmlでも紹介した相模原シティオペラ 今年の演目はヴェルディの 《仮面舞踏会》
 スタッフは以下の通り。歌手は堂々のダブルキャストです。
          仮面舞踏会キャスト クリックで拡大

 今年も楽しみにしています。

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-3

  続・ソフト関連 愛好家のためのレパートリーの増やし方

 前回、テレマンやクープランの鍵盤二声曲を合奏曲にする方法にふれた。いま、トラヴェルソやチェンバロといった古楽器を使い、ラヴェルありショスタコあり・・何でもありの驚きの5人グループ「音楽三昧」の《ゴルトベルク》はそのような編曲技法である。いうまでもなく「音楽三昧」グループの楽器編成のためのオリジナル曲は無い。コンサートのたびに演奏曲は編曲されている。
 終戦直後、NHKの名曲番組のテーマ曲は《平均律曲集(WTC)第一巻終曲前奏曲》の弦合奏編曲だった。演奏用の楽器指定のないWTCのレンダリングも、古楽資源が無数であることを示唆している。
 合奏は楽しいだけでなく、人と人を繋ぐ効用があるので勧めたい。ついでに原典尊重家のために例をいえば、ザクセン州図書館蔵のテレマン作品は、「手稿譜(写譜家の?)」をパブリック・ドメインとしてウエブ上で見ることができる(IMSLP/Petrucci Music Library)。手稿譜や初版譜での演奏は味わい深いものがある。以前、当該譜収蔵館詣での容易ではなかったことを顧みれば驚異の時代とはなった。

  1930年創業のヘルマン・メック社は、楽譜出版もしたテレマンの定期刊行譜に倣い“zfs=zeitschrift fur spielmusik”を戦前から出しており、筆者蔵の最古版は1933年の14号。リコーダー4部(SATB)のためのバッハのコラール集である。
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 第二次世界大戦の少し前の1933年に出た14号。やがて独裁者ヒトラーが禁止することになるドイツ独特のフォント亀の子文字によるタイトルは、《四声部のコラール集》だが、添え書きには「合唱やあらゆるallerlei楽器の合奏で」、と書かれている。

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  Christoph Demantius (1567-1643) による《ガイヤルド集》等の古い楽曲もある。同じドイツ敗戦以前の1940年の86号。ドイツでは第一次世界大戦後からバロック復興が盛んになっていた。  

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  敗戦後も選曲・編集の方針は変わらなかった。1950年の149号はアルプス地方の舞曲集。

 本邦でも上記編曲技法によるリコーダー愛好者のための『多田シリーズ』、北御門版『リコーダー四重奏曲集』などの刊行は全音楽譜出版が積極的に刊行した。『ハウスムジークの試み(本連載10~14)』に書いたYFEでは、上記“zfs”を毎回、初見練習曲として使った。
 

ニッポン、歴史チェンバロ事始め回顧録 連載16-2

ソフト関連
表現スタイルと楽曲
 演奏家の演奏表現が時代のファッションに左右されるにしても、貴公子といわれたレオンハルトの初来日(1977年)のとき、某高名評論家は貴公子の演奏についていけなかったようで「…テンポがふらつき…」等のマイナス評価をした。
 ショパン曲でさえ150年以上を経た音楽。バッハやモーツァルトの古い音楽遺産を生業資源にしている管弦のプロ奏者には、ピリオド楽器とその奏法を理解しようとしない人もまだ多い(本連載7「ピッチとミーントン 反対勢力」参照)。
 初来日のレオンハルトは鍋島女史との対談で、そろそろ後期バロックに食傷気味となった当時の欧州事情と、アマへの対応に触れている。いま、我が国のプロは「音楽を必要とするアマチュア」に「音楽の力と効用」を説くべきで、そのために時間をかけることも意義があると思う。

バリトン・トリオは宝庫
 十六〜八世紀、当時の王侯貴族がお抱え音楽家に課し、その音楽家の務めから遺された楽曲は、古楽の贈りものに他ならない。例えば約125曲というハイドン全集から大量に見つかるバリトン・トリオがある。バリトン声部をヴァイオリン等旋律楽器に置き換えれば、素敵なアマチュア向きの合奏曲となる。トリオでは響きが不足?とんでもない。書く立場では四声よりむつかしい三声書法の見事な作品群である。
 現代の出版社はときどき、バリトン・トリオから抜粋して《ディヴェルティメント》などと新たにタイトルを付け、独り歩きさせる楽譜を出す。バリトン・トリオは、出版社にとってもお宝のひとつなのだ。

無題 
 このアマデウス版は、TrioXIV113からAdagioとAllegro di molto,TrioXIV95からMenuet,TrioXIV81からFinaleというように抜粋、構成されている。

テレマン クープランにも
 また、テレマンにも《50のメヌエット》や《3ダースのファンタジー》があるし、クープランがすでに自作曲(《コンセール》)でいうように、二声鍵盤曲はバス声部をもとにリアライズして内声を充填、ソロ楽器による上声旋律声部を伴奏するなら音楽遺産活用に事欠かない。
第6コンセール
クープラン 第6コンセール冒頭

 このクープランの曲は作曲家自身の説明も面白い。曰く、いろいろな演奏は、
1,クラヴサンのソロで。
2,上声譜は適する旋律楽器で、下声譜は記入されている数字に従いアンサンブル譜として2人で。
3,上記2,の編成にガンバ等で下声を補強し3人で。
等、原譜の状態からいろいろな用法が考えられる。


レオンハルトのことば

1980年のエラスムス賞受賞記念講演から  
                
          レオンハルト柴田 受賞前の1973年、レオンハルト邸で柴田君と共に

 先日、フト目に止まったレオンハルトのことばがあります。演奏を心がけるなら、そうありたいアドバイスなので、紹介します。
            http://tokyocollegium.web.fc2.com/IMG_20180623_0001.pdf