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連載10 昔のピッチについて 

十八世紀の記録
  ニュートンの遺稿に音律を論じたものがあり、また、古典調律分野で有名な‘ヤング第Ⅱ調律’は、弾性係数「ヤング率」で知られる英・物理学者トーマス・ヤングThomas Young創案の調律法です(トマス・ヤングは、古代エジプトのヒエログリフ解読にも貢献)。
 そのように十八世紀の科学者・数学者達は音波、音律など音楽の音響分野に関心を寄せていました。中世以来のリベラル・アーツ(自由七科 下図)のなかの音楽は、単に楽しむだけのものではなく、後々天才達も取り組む伝統の先端的な研究対象だったのです。

               無題
 そのお陰で、十八世紀前半・後半のピッチ・レベルの例をいくつか知ることができます。

 十八世紀のピッチ・レベル ⦆⦆⦆⦆⦆ プレトリウスから約一世紀を経た1713年、「テーラー展開式」で知られるイギリスの数学者Brook Taylorは、振動する弦の周波数計算式を案出、所有するハープシコードのピッチは a1= 383Hzあたりとしました。
 初期の音響学に貢献したフランスの物理学者ソーヴルJoseph Sauveurは、クラヴサンと 8' オルガンが a1= 405Hz(パリ・1713年)と測定。
 「オイラーの公式」で知られるスイスの数学者オイラーLeonhardt Eularは、スイスで a1= 395Hz(バーゼル・1727年)と、のちにエカテリーナ宮廷に仕えたときの a1= 392Hz(ペテルブルク・1739年)を記録しています。すでに十八世紀初期は音叉もあり、他の楽器との合奏や演奏活動から大きくずれていたとは考えにくいので、現代のピッチより全音以上低いこれらピッチが当時の一般的室内ピッチ・レベルを反映しているとみられます。
 十八世紀後半、流体力学で知られるスイスの数学者ベルヌーイDaniel Bernoulliは a1= 390Hz(1762年)、そしてドイツの数学者ランベルトJohann Heinrich Lambertは、所有するフルートの a1 =415Hz(ベルリン・1775年)を記録しています。当時の演奏実技を類推するとa1= 410Hzより少し低いピッチもあったと考えられます。
 対数によって微小音程を表すのに有効で、音程の距離感々得に適する単位=セント(¢)を導入したことで知られる英国のエリスAlexander J. Ellis は、音叉によって昔のピッチ・レベルを調査しました。
 それによると、作曲家Carl Maria von Weber の父親が a1= 424.1 Hzの音叉を1740年頃所有。ドイツではじめてピアノを試作した大バッハの知人・ジルバーマンG. Silbermann は、バッハ没後の1754年、ドレスデンのカトリック教会のオルガン建造に a1= 415Hz の音叉を使い、1780年、そのドレスデンでは宮廷オルガニストのキルステンKirsten は a1= 422.3Hz の音叉を所有していました。

エタ=ハーリッヒ・シュナイダーの自伝『苦難の時代とその群像 下巻』を読んで

 エタ=ハーリッヒ・シュナイダーの自伝 『苦難の時代とその群像 下巻』(国井忠訳) を上巻に続いてようやく読了。

 折も折、NHKでザ・プロファイラー~夢と野望の人生~という 司会・岡田准一、出演テリー伊藤、市川紗椰、西村和彦による日・独・ソが関係する「ゾルゲ事件」の首謀者、リヒャルト・ゾルゲの番組がありました。ゾルゲはドイツの新聞社特派員として東京に滞在しながらスパイ団を組織、国家の機密を次々と盗み特高に逮捕された人物です。それは日本中を震撼させた事件だったと自分も子供心に記憶しています。
 感心するのは、きちんと裁判されており重大事件にもかかわらず死刑に処せられたのは2人だけ。後述する処刑前の供述のようにゾルゲは最後までソ連という国に希望を持っていました。
 いま、モスクワのゾルゲ通りに銅像が建ち、さらに極東ウラジオストク市がゾルゲの記念像建設を計画しているそうで、スターリンには見捨てられたゾルゲだが、戦後70年経て国家体制が変わっても評価は高い。ソ連崩壊以前の1964年11月5日、ソ連政府から「ソ連邦英雄」となる名誉回復がなされ「ソ連崩壊後もロシア駐日大使が東京都郊外の多磨霊園にあるゾルゲの墓に参るのが慣行」というから驚きです。ゾルゲの功績に気づいたということでしょうが、日ソ不可侵条約を踏み躙られた日本人としては気持ちはよくない。旧満州の葛根廟事件での「戦争犯罪」や、火事場泥棒に似た樺太、北方領土でのソ連軍による邦人避難民への加害にゾルゲ事件が関係あったとすれば…。
 さて、やはりエタさんとゾルゲとのかかわりが気になります。

          ゾルゲ墓   石井花子 多磨霊園にあるゾルゲの墓と建立した石井花子

 エタさんの自伝によるとゾルゲは重要人物だが、ゾルゲにとってはエタさんは一過性?の人物だったようです。逮捕後ゾルゲは供述の中で、同棲していた「石井花子は関係ない」ことを強調したといいます。
 処刑前「これは私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳」と供述。共産主義思想に夢を託したゾルゲの墓を、花子は戦後になって多磨霊園に建立しています。墓碑には「ソヴィエト連邦の英雄」

 この頃、エタさんの使用チェンバロは「アンマーAmmer」だったようです。

1955年 藝大奏楽堂でのレクチャー
 このブログの主役はエタさん。この頃、旧ソ連にも歓迎されています。
 藝大奏楽堂でのレクチャー回顧記事は下巻の303ページにありました開催日は大学授業前期末の六月六日か十三日だったこともわかりました。最初からたくさんの教授連が加わり、成果は多大だった。と回顧しているが、私・野村の聴講した時の回は教授陣はほとんどいなかったので、エタさんの記憶違いかと思います。音栓使用の技術、装飾術で使われたチェンバロは、アンマーではなくノイペルトのアンプ付き2段鍵盤楽器、例曲はバッハの《イタリア協奏曲・第2楽章》で、主旋律は16’+ 4’・・・等の音楽的内容ははっきり覚えています。
 受講した学生にとって重要な意味をもつレクチャーであったことは確かだが、エタさんにとっては通りすがりのついでの仕事。自伝の全体量からみるとほんの僅かです。それよりも、皇室との関連を持つ機会になったり、日本古来の音楽をより深く研究するチャンスを得たことを回顧している記事です。
その1955年の前半あたりを引用すると、

 宮内庁楽部でさらに三度、宮廷音楽を録音した。以来、宮内庁楽部の第一フルート奏者だったオク・コウカンが7月末に私を毎日訪ね、中国由来の雅楽作品について発音表記の修正作業をした。
 日本国内の旅行ではいつも--その土地特有の音楽を研究することで手一杯であっても--チェンバリストとして求めに応じる必要があった。これは私にとって気分転換であり、新たな発見の橋渡しにもなった。生徒達が消息を知らせ、コンサートを計画した。ラジオ放送ではNHK交響楽団の指揮者エッシュバッハ--と共にチェンバロ演奏の夕べを催し、バッハのヴァイオリンとチェンバロののためのソナタを優れたコンサートマスター、クリングとの共演で演奏した。しかし音楽上の最大の出来事は、藝大で六月六、十三、二十三、二十七日の四回行なった日本語による講習だった。これはチェンバロ演奏の入門コースで、楽器の実習、音栓使用の技術、装飾術、全般的な美的感覚、プログラム構成、解釈指針などを含んだ。私は楽譜や原稿なしで自由に話して演奏し、相当詳しい内容まで組み入れた。聴講者の中には、最初からたくさんの教授連が加わり、成果は多大だった。


 その後、ベルリンに戻り、地位の回復にエネルギーを費やしたエタさんは、一方で自殺した娘を偲ぶ時をもちます。自伝からは親子の家族愛が伝わってきます。そして結局ベルリンではなく、ウィーンで活動的だった人生を閉じました。

ハイドンとジュピター音型 その4

いま、ハイドンの書いたジュピター音型から始まって、モーツァルトの 用例を調べています。
多様な用例は同じものがなくとても参考になります。

前回からの続き


 次はミサ曲 ハ長調 K. 257 のサンクトゥス.
ミサ曲 ハ長調 K257 サンクトゥス冒頭要約
要約譜。
ミサ曲 ハ長調 K257 サンクトゥス要約

ピアノ協奏曲イ長調 K. 414 第一楽章 第72小節 1stヴァイオリン
KV_414要約

3 つのバセットホルンのための5つのディヴェルティメント K. 439b(Anh 229) 第4番 の第1楽章の1st声部第5小節から。
ディヴェルティメント K439b(Anh 229) 第4番要約のコピー

ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K. 481の第1楽章 第105小節からヴァイオリン。
ヴァイオリンソナタ K481の第1楽章 第105小節要約 (2)

 それらの展開技法は、より和声的な処理と対位法的な処理とがありますが、別の視点から分類すると、次の2種類があるようです。

1.ジュピター音形と意識せずに使う。
2.意図してジュピター音形を使う。


即興の記録
 対位法的楽想の即興はごく高度な能力がなければできません。フーガの即興演奏で聴衆に「大受け‥」したという父親への報告(1778年7月18日付)があります。「単純なメロディ・メーキングに和音付けする」レベルの作曲とは違います。やはり天才はすごいし、その見事さがわかる聴衆もえらかった。

不思議な関連
  ウィキペディアによれば、ブラームスの4つの交響曲の調性を番号順に並べると、ジュピター音型と同じ「ハ・ニ・ヘ・ホ (c - D - F - e)」となる他、シューマンの4つの交響曲の調性を番号順に並べた場合も変ロ・ハ・変ホ・ニ (B - C - Es - d)という変ロ長調に移調されたこの音型になることが知られているということですが、この事実は誰が気づいたのでしょうか、ブラームスとシューマンが無意識に調性を選んだとすればオカルト的な話です。
 ジュピター音形は大 バッハやヘンデルの曲にもありますが、少しあとのベートーヴェンは《月光》の第2楽章トリオの冒頭のバスに、シューベルトは『ミサ ヘ長調』(D105)「クレド」(これはモーツァルトの「クレド」の用法と殆ど同じだが、和声付がちがう)で使っています。ブラームスもまたこの「ジュピター音形」を好み用例も多い作曲家で、ブラームスとシューマンの関係は密接だったとしても、ブラームスより先輩のシューマンの交響曲4曲の調性がジュピター音形になっている事実がオカルト的な人智を超えた話、と感じてしまう背景です!!

 以上でジュピター音型 用例の調査を終わり、次回から別の話題に移りましょう。

ハイドンとジュピター音型 その3

いま、ハイドンの書いたジュピター音型から始まって、モーツァルトの 用例を調べています。

対位法的か和声学的か
 中には下掲の5.(ミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部)のように、まるで和声ソプラノ課題のような例も見つかりますが、ジュピター音型の用例研究をすることは、ジュピター音型を定旋律とした「対位法」を観察することにほかなりません。

モーツァルト作品の11例
 更にモーツァルトの作品を調べると、用例は7例だけでなく、次のようにケッヘル番号順に11例にのぼります。

1.交響曲 第1番 変ホ長調K. 16 の第2楽章第7小節のホルン声部。
2. 交響曲 変ロ長調(旧全集では第55番)K. 45b(Anh 214) の第1楽章第25小節のバス声部。
3.教会ソナタ K. 144 第15小節 バス
4.ピアノ協奏曲ニ長調 K. 175 第一楽章 第17小節 バス
5.ミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部。
6.ミサ曲 ハ長調 K. 257 のサンクトゥス.
7.交響曲第33番 変ロ長調 K. 319の第1楽章第143小節 1stヴァイオリン
8.ピアノ協奏曲イ長調 K. 414 第一楽章 第72小節 1stヴァイオリン 
9. 3 つのバセットホルンのための5つのディヴェルティメント K. 439b(Anh 229) 第4番 の第1楽章の1st声部第5小節から。
10. ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K. 481の第1楽章 第105小節からヴァイオリン。
11.交響曲第41番 ハ長調 ジュピターK. 550 の第4楽章


 これら用例のうち最も緻密に構成されているのが、《交響曲第41番 ハ長調 ジュピター》K. 550 の第4楽章第372小節以降です。ここでモーツァルトは意図的にジュピター音形に絡ませる5種類のモチーフの展開技法をみせています。つまり、ジュピター音形のほかに対旋律が4種類もあるのです。それにフーガ風に多重対位法の技法が使われています。

多重対位法とは
 多種類の旋律やモチーフについて、声部の上下配置を入れ替え可能なように作曲する技法が多重対位法です。声部の最も少ない二声の二重対位法は上下の入れ替えのみですが(例:大バッハの2声インヴェンションから2番ハ短調)、三声では 3!= 1×2×3 つまり、6通り可能です(例:大バッハの3声シンフォニアから3番ニ長調では5通りに留まる)。五重対位法では5!=1×2×3×4×5で、少なくとも120通りの可能性があります。その中から天才は、終楽章終結部にふさわしいストレッタも含めてバロックの伝統を織り込み、楽器音色のファクターも加味してベストな響きを書き残しました。

それでは3.の教会ソナタ K. 144 第15小節にバスとして使われた部分の対旋律を抽出してみましょう。
教会ソナタk144要約 数字がついたバスなので、和声の進行がよくわかる。

次いで4.のピアノ協奏曲ニ長調 K. 175 第一楽章 第17小節にバスとして使われた部分の対旋律を抽出してみましょう。
KV_175要約 ジュピター音形のアーティキュレーションが異なる。

同様に5.のミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部。
ミ サ・ブレヴィス ヘ長調 K192 要約  これは対旋律のない、和声学のソプラノ課題のような例。

つづく

ハイドンとジュピター音型 その2

天才の証し
 1788年、最後期交響曲3曲(第39番、第40番、第41番《ジュピター》)が僅か1ヵ月半で仕上がったことにまず驚きます。天才たる条件は、量・質と「書く速さ」にもあるのではないでしょうか。
 モーツアルトに限らず古来、この(ジュピター)音型はなぜ愛用されたのでしょう。それは、ジュピター音型そのものがバス声部にも使え、すべての声部でカノンやストレットに耐えられる柔軟性のあることと、多種類の対旋律とのアンサンブルが可能であることが用例を多くしたのです。
 それを第41番《ジュピター》では精緻に展開、リヒアルト・シュトラウスに「天国にいるかの思い」をさせたのであり、その天才ぶりを感動抜きで語ることは出来ません。しかも精緻な展開はさりげなく短期間にされたのです。

モーツァルトのジュピター音型使用楽曲は7例か?
 モーツァルトの交響曲第1番変ホ長調にジュピター音型が使われていることは有名です。譜例で示すと

       KV_16.jpg クリックで拡大  第7小節からのホルンのジュピター音型とバスの対話を抽出すると、
KV_16要約
 そのほかにウィキペディアを最後の「交響曲第41番」で参照すると、ジュピター音型の用例として次の7例を挙げています。
1 交響曲 変ロ長調(旧全集では第55番)K. 45b(Anh 214) の第1楽章第25小節のバス声部。
上掲の用例・交響曲第1番変ホ長調第2楽章の要約譜にならって、このK. 45b(Anh 214) の対旋律を抽出すると
交響曲 変ロ長調K 45b(Anh 214)第25小節の要約 (3)

2.ミ サ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192 のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部。 (以下の抽出譜は次回)
3. ミサ曲 ハ長調 K. 257 のサンクトゥス冒頭コーラスのソプラノ声部。
4. 交響曲第33番 変ロ長調 K. 319の第1楽章第143小節1stヴァイオリン。
5. 3つのバセットホルンのための5つのディヴェルティメント K. 439b(Anh 229) 第4番 の第1楽章の1st声部第5小節から。
6. ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K. 481の第1楽章 第105小節からヴァイオリン。
7. 交響曲第41番 ハ長調 K. 551 《ジュピター》の第4楽章

 更にモーツァルトの作品を調べると、用例は7例だけでなく、次のようにケッヘル番号順に11例にのぼります。

1.交響曲 第1番 変ホ長調K. 16 の第2楽章第7小節のホルン声部。
2. 交響曲 変ロ長調(旧全集では第55番)K. 45b(Anh 214) の第1楽章第25小節のバス声部。
3.教会ソナタ K. 144 第15小節 バス
4.ピアノ協奏曲ニ長調 K. 175 第一楽章 第17小節 バス
5.ミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部。
6.ミサ曲 ハ長調 K. 257 のサンクトゥス.
7.交響曲第33番 変ロ長調 K. 319の第1楽章第143小節 1stヴァイオリン
8.ピアノ協奏曲イ長調 K. 414 第一楽章 第72小節 1stヴァイオリン 
9. 3 つのバセットホルンのための5つのディヴェルティメント K. 439b(Anh 229) 第4番 の第1楽章の1st声部第5小節から。
10. ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K. 481の第1楽章 第105小節からヴァイオリン。
11.交響曲第41番 ハ長調 ジュピターK. 550 の第4楽章


次回、教会ソナタ K. 144以降のジュピター音型と対旋律を抽出し、用例を挙げて調べてみましょう。

 これら用例のうち最も緻密にできているのが、《交響曲第41番 ハ長調 ジュピター》K. 550 の第4楽章第372小節以降です。ここでモーツァルトは意図的にジュピター音形に絡ませる5種類のモチーフの展開技法をみせています。つまり、ジュピター音形のほかに対旋律が4種類もあるのです。それにフーガ風に多重対位法の技法が使われています。

つづく

私設・モーツァルト研究会 ハ短調ソナタK.457

先日  モーツァルト・ファンの高橋先生ご夫妻とハ短調ソナタK.457、第1楽章(下掲楽譜)を調べました。2017.年9月30日にご披露した私設・モーツァルト研究会の続編です。
         ハ短調ソナタK.457jpgハ短調ソナタK4572

この第1楽章は、「あからさまに(という人がいる)」下掲楽譜のベートーヴェンのOp.2-1 第1楽章の手本とされたことでも有名です。
      BeethovenOp2-1.jpg モシェレス編 ベートーヴェン作曲ピアノ・ソナタハ短調Op.2-1


モーツァルトのハ短調ソナタK.457、第1楽章の第2主題は?

 さて K.457の第1楽章の第2主題は、旋律構造も転調経過も紛らわしく登場しますので注意を要します。
 「旋律構造も転調経過も紛らわしい」というのは、
①第1主題がモチーフ断片で構成されるなら第2主題はメロディックに歌われる構成
②短調ソナタの第2主題は原調の関係長調で、

という原則があって、
ハ短調ソナタK4573
この部分は上記①②にかなっているので第2主題かと思ってしまいます。ただ、ソナタにしてはあまりに性急な感じですが…。そういう疑問のあるときは、先に再現部を調べてみましょう。
 上掲の部分が第2主題だとすれば、再現部で相当する部分は第118小節にくるところです。しかし、変ニ長調による別種の旋律が現れています(少々深読みすると、変ニ長調は第131小節からの主調ハ短調に復帰するための終止形和音として、6という第1展開配置ではないが「ナポリの6」の終止形和音の用法になっている)。従って第2主題は次のように、第36小節からという判断になります。この第2主題は、旋律の装飾的な反行(鏡像)音形のやり取りで成立していること、そういう技巧的操作を感じさせない点も面白いですね。

ハ短調ソナタK457第2主題

連載9 昔のピッチについて 

モーツァルト時代前後 

Stein ,1775 
ベルリンにある シュタインの1775年製フォルテピアノ。

シュタインの音叉
 十七世紀前半以降の新しいチェンバロと十八世紀のチェンバロは、a= 400~440Hzの(現代ピッチより1.5半音ほど低い)範囲の弦長で、チェンバロ時代末期まで使われます。そのため、モーツァルトがアウクスブルクで出会ったピアノ工匠・シュタインの音叉はa= 421.6Hzですから、ピッチの伝承を一定に保つのが困難であることを示しています。

長大なチェンバロ

クリックで拡大   Dulcken1745.jpg
ワシントンのスミソニアン博物館にある J. D.デュルケンの1745年アントワープ製ダブル。音域: FF – f3, 仕様: 2 x 8’, 1 x 4’. 全長261.62 cm で、通常のフレンチのダブルより20cmほど長い


 モーツァルト時代の大陸側では、後期フレミッシュの代表格として知られるデュルケンDulcken楽器の弦長スケールがロング・スケール(c2= 370~417mm。ピッチ・レベルは不詳。スケーリングから解釈すると370mm楽器でさえ390Hzあたり)で、楽器本体も上掲楽器のように長いものが多い。

十八世紀の記録
 ニュートンの遺稿に音律を論じたものがあり、古典調律分野で有名な‘ヤング第Ⅱ調律’は、弾性係数「ヤング率」で知られる英・物理学者トーマス・ヤングThomas Young創案の調律法です。そのように十八世紀の科学者・数学者達は音波、音律など音楽の音響分野に関心を寄せていました。中世以来のリベラル・アーツ(自由七科)のなかの音楽は、単に楽しむだけのものではなく、後々天才達も取り組む伝統の先端的な研究対象だったのです。そのお陰で、十八世紀前半・後半のピッチ・レベルの例をいくつか知ることができます。

つづく

ハイドンとジュピター音型 その1

ジュピター音型
           Jupiter.jpg
 モーツァルトの好んだジュピター音型がハイドンの初期交響曲にも出現します。 この音型は古くからあり、モーツアルトの専売ではないからです。
 ハイドンの初期交響曲とは、前々回の小ブログで紹介したヨーゼフ室内管弦楽団の第7回演奏会プログラムで最初に演奏された交響曲第13番ニ長調
交響曲第13番ニ長調の第1楽章の冒頭 ハイドン

その第4楽章フィナーレの曲首1stVlから現れるジュピター音型についてヨーゼフ・オケのプログラム解説文には「神聖なモーツァルトに対してハイドンのジュピターは人間的でずっと親しみやすいですね」

第4楽章フィナーレの冒頭 ハイドンフィナーレ 記号Kから始まる第4楽章のストレットジュピター 音型ハイドンフィナーレストレット2

 ここからモーツァルトの用例に移りましょう。

 一方、ウィキペディアによるとモーツァルトを崇敬していたリヒャルト・シュトラウスは、1878年1月26日にルートヴィヒ・トゥイレに宛てた手紙で、ジュピター交響曲 K. 551 を「私が聴いた音楽の中で最も偉大なものである。終曲のフーガを聞いたとき、私は天国にいるかの思いがした」と書いているそうです。「終曲のフーガ」というのは、第372小節のヴィオラのCから5種類の動機(ABCDE)が始まる「五重対位法」のことで、フガートと言えても厳密にはフーガとは言えません。フーガと言うからにはDuxとComesで構成する楽曲でなければなりません(拙著『Mozartファミリーのクラヴィーァ考』p.67)。つぎの譜例をご覧下さい。
            K551≪ジュピター≫の372小節あたり 4ジュピター

 ハイドンのジュピター音型の展開技法よりはるかに緻密に構成された、372小節以降を聴いてリヒアルト・シュトラウスは「天国にいるかの思いがした」わけです。「神聖なモーツァルトに対してハイドンのジュピターは人間的でずっと親しみやすい・・・」と書いたヨーゼフ・オケの解説文は、この展開技法の緻密さの違いが背景になっています。

 このA~Eモチーフは372小節以前に予告的に提示されているもので、例えば
   2ジュピター    3ジュピター

モーツァルトのジュピター音型使用例は次の7例が挙げられています。
モーツァルトのジュピター音型使用楽曲7例
交響曲 変ロ長調(旧全集では第55番)K. 45b(Anh 214) の第1楽章第25小節のバス声部。
ミサ・ブレヴィス ヘ長調 K. 192 のクレド冒頭コーラスのソプラノ声部。
ミサ曲 ハ長調 K. 257 のサンクトゥス冒頭コーラスのソプラノ声部。
交響曲第33番 変ロ長調 K. 319 の第1楽章第143小節1stヴァイオリン。
3つのバセットホルンのための5つのディヴェルティメント K. 439b(Anh 229) 第4番 の第1楽章の1st声部第5小節から。
ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K. 481 の第1楽章 第105小節からヴァイオリン。
交響曲第41番 ハ長調 ジュピターK. 551の第4楽章


つづく

エタ=ハーリッヒ・シュナイダーの自伝『苦難の時代とその群像 上巻』

伝記
 いま、エタ=ハーリッヒ・シュナイダー女史の自叙伝『苦難の時代とその群像』(国井忠訳)を読んでいます。上、下 二巻の大著です。
 第二次大戦勃発前夜から戦後しばらくまでが実に詳しい。一人のチェンバリストの視点から書いているが、個人的な生活と共に当時の政治上の「危ない」世界情勢を彼女自身の日記が元になり描かれた貴重な群像の記録です。第一巻を読了して改めて印象深かったことをいくつか挙げてみます。一言で言えば、「エタさんはすごい」女性です。
 第二巻の読後感は後日になります。

ドイツ脱出
 1.朝日新聞の招きでベルリンの音大教授の地位を捨てて1941年(昭和16年アジア太平洋戦争勃発の年の5月)、シベリア鉄道から旧・満州経由(下掲地図A→B→C→D)で東京へ。
    南満地図  
    青のラインが鉄道網

このコースならエタさんは小学生の私・野村が住んでいたC新京(シンキンとカナ書き訳だがシンキョウとしてほしい)という名のラスト・エンペラー溥儀の宮廷のあった街の駅を通過したのだナ…その人から15年後、藝大の奏楽堂でレクチャーを受け、のちに自分はチェンバロと関わることになるとは面白い人生ストーリーだったんだネ。
 乗った列車は展望台のある「特急あじあ」(アジア特急という翻訳だが・・・)特急あじあ エタさんはお金には困らなかったようで、「ちなみに運賃ですが、3等車が10円89銭、1等車が31円29銭と3倍近い開きがあります。また3等もお安くありません。値段の比較としましては、当時東京の浅草でカツ丼が35銭だったことからみましても、高価だといえますね」 という資料もあり、「特急あじあ」に乗れたこと自体、セレブ的。

シェックとの関わり 
2.音大教授の地位を捨てて、といってもアメリカへ亡命するヒンデミ-トとは親交があったが、根がナチ嫌いで親ユダヤだったし、一方、フルート科の教授シェックからは何かと妨害工作を受ける日々に見切りをつけたということらしい。
 3.シェック教授は、戦後、我が国初のリコーダーのプロとなった多田逸郎先生の恩師であり、フローリアン・シェック著、『シェック 父を偲んで』という伝記の翻訳をされた多田逸郎先生に私淑する筆者としては、シェックからいじめがあったことを知り、ヘンな気持ち。

スパイ・ゾルゲ  ゾルゲ
 4.エタさんが渡日後、スパイ・ゾルゲと深い関係があったことにはビックリ。付き合う過程で夜、窓から飛び降りたこともあったとか。スパイ行為はなかったエタさんは、ゾルゲを敬愛したようだ。スパイ・ゾルゲ事件は戦時中の大事件。結局ゾルゲは絞首刑となる。

チェンバロ演奏会
 5.戦争中も熱心な聴衆で満席のチェンバロの演奏会が行われていたことに感服。中禅寺湖畔の別荘でもチェンバロの演奏会が行われた。

戦後
 6.終戦後、アメリカ占領軍にはいじめられた。

つづく

ヨーゼフ室内管弦楽団のハイドン・コンサート

ハイドン大好き集団
 ここに言うハイドンのファンとは、ハイドンを演奏して幸せになれる人たちのことです・・・といって2017年の8月27 日の本ブログで紹介したヨーゼフ室内管弦楽団 の第7回コンサートが、来る2月17日(日)マチネーで開催されます(下)

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ヨーゼフ室内管弦楽団 のコンサート  赤数字は今回の演奏曲で、薄い数字は既演曲

ピッチと使用チェンバロ
 ピッチa=442Hzのモダン楽器によるオーケストラですがハイドンの交響曲全曲演奏を目標に、演奏のクオリティも申し分なく年2回のコンサートを入場無料で開催しているという奇特なオケです。今回は全曲チェンバロを使うのでお手伝いしてきます。使用チェンバロは、エジンバラはラッセル・コレクション蔵のジョン・ハリソンが製作した1757年スピネットのフリーコピー・モデル。まさにハイドン時代の英国モデルです。

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  ラッセル・コレクション蔵 1757年 ジョン・ハリソン作スピネット (クリックで拡大)

 なぜスピネットか
 いろいろ経験した結果、通奏低音用チェンバロは低音が響くスピネットなら十分だと思います。トーカイ・モデルはキャンキャン鳴り、バスが響かないのでダメ。それに、指揮者が弾き振りしないかぎり場所をとらないので適しています。


連載8  昔のピッチについて 続・バロック時代のフランス/十七世紀後半のダングルベールから 十八世紀

フランスの十七世紀 ダングルベール(下)の使用ピッチ
         ダングルベール7-1

 1691年にパリで死去したダングルベールJean-Henri d'Anglebertの遺産目録には一段鍵盤楽器4台が記録され、そのうち1台は鍵盤を「左右半音移調可能」とあり、おそらく低いピッチ(388Hz)と、高いピッチ(410 Hz)に移調できる楽器であったと思われます。のちの1759年、パリで売りに出された2台のクラヴサンも同じような移調鍵盤仕様で、ダングルベールの遺産目録から示唆されるピッチか、あるいは二つの高ピッチ(といっても現代より半音以上低い)だったのでしょう。

十八世紀
 フランス楽器の弦スケールの実用的上限は、a1= 415Hz(現代ピッチの半音下)あたりだったようです。上掲のように、ゲルマン、エムシュ等1750年代60年代にパリで作られた残存クラヴサンはスケーリングが長く、世紀半ばに徐々に高めになったとはいえないことを強く示唆しています。
 他方、フランソワ・ブランシェBlanchet I世は1730年代に、僅かに短いスケールを採用(a1= 420Hzほど)し始めます。弟子のタスカンTaskinによる1780年代以降の2台はフランスの楽器としては特に短い弦長で、他のタスカン楽器(a1=433Hzほど)より半音高いピッチを意図したと思われます。フランス、ドイツ、イギリスに残存する多くの十八世紀楽器は、実用的上限としてa1= 420Hzを用いたようです。

連載8  昔のピッチについて バロック時代のフランス

バロック時代のフランス ⦆⦆⦆⦆⦆ フランスでは、1650年創立のリュリJean Baptist Lullyによるヴェルサイユ・オーケストラが、スタンダードを守った木管楽器製作家のピッチで活動しました。残存するリコーダーがa1= 385~8Hzなので、現代のa1= 440 Hzの2半音下を示唆しています。そして、フランスの木管楽器演奏家達が国際的に活躍していたので、チェンバロのピッチの標準化を北部ヨーロッパに広め、1750年以降もそれが伝承されました。フランス・ピッチはa1= 385~415Hz、オペラ・ピッチがそれより低いという幅のある解釈が良いでしょう。
 メルセンヌ Mersenneの著作(Harmonie universelle)中のオルガンはおよそa1= 375Hz (1636年:トン・ド・シャペル)、メルセンヌから130年後のドム・ベドDom Bedosの著作中のオルガンは a1= 377Hz (1766年:トン・ド・シャペル)とみられ、フランス・バロックはオルガンも低ピッチでした。

Dom Bedo clvorgn  クリックで拡大 
ドム・ベドDom Bedosの図版からクラヴィオルガヌム(オルガン+クラヴサンのコンビネーション楽器)
 

 現代では低いと思われていますが、のちのヴェルサイユ・ピッチといわれる工匠・タスカンPascal Taskin の音叉(1783年頃)はフランス・ピッチとしてはごく高めで、十九世紀中頃の測定では a1= 409Hz、現代の基準・440Hz の全音下g1 音とほぼ同じです。弦長スケールと張力から調べたオブライエンは409Hz を追認しています。しかし、ルッカース楽器の改作を経験したタスカンの楽器には、更に低い長めのc2= 364mmと、逆に短い約344mmのスケールもあるので、破断点より低めの用弦法を唱えるミッチェルは、…タスカンが409Hz ばかり用いたという判断はできないし、タスカン・スケールが409Hzなら長めのスケールは約392Hzのフランス・オペラのようなピッチを意図していたのかもしれない…、オブライエンのいうルッカース の「レファレンス・ピッチ」も厳密には、a1= 415Hzであったとは言えない、と論評しています。
 たしかに、現代の[便宜的」バロック・ピッチ415Hzでは、用弦法にもよりますが、イタリアンの構造は張力に耐えられず変形しやすいし、 ミッチェル説によると、オブライエンのレファレンス・ピッチも415Hzではなく、前記1531, Trasuntino の試行ピッチのようにモダン・ピッチから4半音(長三度)低い348Hzピッチを想定しないと、オブライエンの分類した4種の楽器サイズとピッチの関係が理解できないとしています。
 さらに、「フランスのクラヴサン」をモデルにする場合、クラヴサンのc2 スケールは、十八世紀楽器でもこのあと示すようにルッカース・スケール(c2 = 355mm)を超えるものが多く、これらのモデルに現代の一般的なバロック・ピッチa1= 415Hz をあてることは検討を要することになります。

1711, ドンズラーグDonzelague, Pierre = 366mm(下巻p.134)
1736? エムシュHemsch, Henri = 378mm(上巻p.36)
1742, ベローBellot, Louis Charles = 368mm(上巻p.33)
1750, グルマンGoermans, Jean = 370mm(上巻p.65)
1764, Goermans, Jean・伝= 366mm(上巻p.52)
1774, Goermans, Jacques = 365mm(下巻p.135)

つづく

連載7  昔のピッチについて バロック時代のドイツ

     大王の奏楽
サン・スーシー宮殿での大王の奏楽を描いたこの有名な絵は、約100年後史実に基づき忠実に再現描写された水彩画。チェンバロ奏者はC. Ph. E. バッハ。右端がクヴァンツ。

バロック時代のドイツ ⦆⦆⦆⦆⦆ 後期バロックの1760年代、プロイセンのフリードリッヒ大王に仕えたクヴァンツJohann Joachim Quantzは、「大王のフルートを、唯一残ったジョイントで作ると演奏にベスト」と書いたので、残存フルートのピッチから、大バッハがサン・スーシー宮を訪問したとき息子のC. Ph. E. バッハの弾いたチェンバロと初期ピアノは、a1= 395Hzであったことがわかります。これはほとんど現代のg1のピッチ(391.955Hz)で、4Hzほど高いだけです。

バッハハウス
バッハの故郷、アイゼナッハのバッハハウス

 アイゼナッハにあるバッハハウス蔵の十八世紀初期の一段鍵盤楽器( 多分チューリンゲンの工匠作)は、左右4カ所(下記ア イ ウ エ)に移動可能なトランスポージング鍵盤付です。

バッハハウス2

4カ所は低い方からア→イ→ウ→エ順に、ア a1= 390Hzはバッハが在職したケーテン宮廷楽団の室内ピッチとみられる。.→ イ a1= 415Hzはバッハがトーマス教会のカントールであった頃、ほとんど一般的ではなかった室内楽とオーケストラ・ピッチの標準。→ ウ 現代ピッチにあたるa1= 440Hzは、ルネサンスやバロック時代は未知だったもの。→ エ a1= 455Hzはプレトリゥスの古いカマートンで、十八世紀には混乱してコールトンa1=460Hzとして知られていたもの。
 十八世紀にはまだ北ドイツのオルガンの大部分がこのピッチに調律されました。

つづく

ごあいさつ + 山田邸訪問 -3

ごあいさつ 
新年おめでとうございます。

 お正月、関東は晴天続きでした。
時々脱線するチェンバロ・オタク向けブログ、ご覧いただきありがとうございます。

 今年の脱線第一号。 
 元旦の夜、NHKのウィーンフィルの中継するニューイヤーコンサート、開幕の音楽が《シェーンフェルト行進曲》であったことに、何かいいことありそうな少しうれしい気持ちになりました。なぜなら、私・野村の指揮するサロン・オケ「アンサンブル・シェーンフェルト」がテーマ曲としていつも《シェーンフェルト行進曲》で開演しているからです。アップのyoutubeお聴き下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=TO9voqCmBD8

山田先生が準備しているマリウス・コピー
 マリウスの1713年作は展開した楽器本体の高さが12センチほどしかなく底板は8ミリで、ギターのような音響コンセプトで作られています。折り畳んで24センチ。畳むために、鍵盤はデリーケートですからボデイ内部にスライドさせて収納します。その厚みを高さ12センチから引き算するとジャックの高さはごく短く、木製では重みのないものになってしまうので、鉛で作られています(下図)。

             CMIM000023548のコピー クリックで拡大

かつて 演奏旅行で忙しくなった故・柴田君が折りたたみクラヴサン製作を思い立ったのは、今と異なりチェンバロを旅行先で用意できない時代だったからです。山田先生は注文があるわけでなし、未知のものにチャレンジすることが動機ですから頭が下がります。
 町内の敷設された水道管が昔鉛でしでしたが、ステンレスに取り替えられたときにもらった鉛管を先生にプレゼントしてきました。

山田邸訪問 -2

 折りたたみクラヴサンとは
折りたたみクラヴサンは下図のように蝶板で回転して畳まれ、鍵盤はボディ内部にスライドして格納させてますので、長方形の立方体になります。
          クリックで拡大  Clavecin brisé            marius.jpg

 まず、東京コレギウム刊『チェンバロ クラヴィコード関係用語集』の概説から。

折り畳みチェンバロ / 携帯チェンバロ / 折り畳みクラヴサン
英)folding harpsichord for traveling 佛)clavecin brise / clavecin de voyage
獨)Reisecembalo / Reiseclavecin
 旅行用の楽器で、パリの工匠Jean Marius(マリゥス)(活動期は1700~16年)1700年から20年間製作したものが有名。
 1713年作の、G 1/B 1~e 3音域、ブロークン・オクターヴの楽器は、鍵盤ボディともに3分割されて蝶番でつながり、運搬時には箱状の立方体の形に折りたたむことができる。
 Friedrich大王の祖母、Sophie Charlotte(ゾフィー・シャルロッテ)から受け継がれ、戦いに明け暮れた大王の従軍用Marius楽器がベルリンに残っている(下巻p.48)。博物館カタログの製作年は、1700年と1704年の間。Marius楽器の響板装飾は、Blanchet(ブランシェ)楽器の装飾担当と同じ彩画師によるとされるが(S. Germann, 1981, p.193)、ベルリン楽器の響板彩画は、伝統的な花鳥モチーフと全く異なる鍛鉄細工模様のほか花柄・仮面劇中の人物など。
 楽器ケースはB 1~d 1、d♯1~d 2、d♯2~c 3の3部分で分割されて蝶番でつながり、折り畳むと長方形(厳密にはテール側の幅が62mm広くなる多角形)になる。

 携帯用「折り畳みチェンバロ」は、Mariusが一貫して製作、創案者ともいわれている。しかし、フィレンツェのGiuseppe Mondini(1631-1718)が発明したという記録がイタリアにあり、工匠の活動期からみてもイタリア起源の楽器とみられる。
          
     grimaldi.jpg 1697, Grimaldi  grimaldi  
                              Grimaldiの折り畳みチェンバロ。

 以前、Gorgaコレクションが所蔵し、現在ニュルンベルクの国立ゲルマニア博物館蔵、1697年作の一段鍵盤チェンバロでよく知られているGrimaldi(活動期1697~1703年のメッシナの工匠)は、リュートやオルガン作りが主であったらしく、現存チェンバロは上記1697年のチェンバロ(上左)ほか3台のみ。うち1台はイタリア現存楽器中唯一の携帯用「折り畳みチェンバロ」(上右)
 パリの工匠Marius(活動期は1700~16年)による携帯用折り畳みクラヴサンは、ほかにパリ・音楽博物館、ブリュッセル楽器博物館、ライプツィッヒ大学楽器コレクションなど7台がある。

つづく

山田邸訪問 -1

 平成最後の冬至前日、チェンバリスト・山田貢氏のお宅にお邪魔しました。我が国での古楽の活動を先導した演奏家で、バロック一期生として、チェンバロの研究、製作を実践した先達です。演奏のプロとして、そのうえチェンバロの製作まで実践、ということは並のチェンバリストの上を往く先生です。

     ラウテンクラヴィーア 山田先生の自作ラウテンクラヴィーア


 先年、バッハの遺品目録にあって現物のないラウテンクラヴィーアを自作され、評判になりました。チェンバロ製作もされるので、ただの演奏家より楽器の挙動に誠に詳しい。故・多田逸郎氏の思い出話も出て時間が駆け足、楽器関連の語らいを圧縮しなければなりませんでした。

 今、山田先生の頭脳を駆け巡っている楽器製作構想は、パリに残っている折り畳みクラブサン。工匠・マリウスの1713年作(下)の楽器です。
                  マリウス1713のコピー クリックで拡大

つづく

資料  a1の振動数を比較した一覧表

 史上 有名な《音楽の捧げもの》誕生のきっかけとなった大バッハのサンスーシー宮殿訪問ではどのようなピッチだったのでしょうか。

           大王の奏楽 大王の奏楽

 下表には収載していませんが、宮殿の主・フリードリッヒ大王に仕えたクヴァンツが「大王のフルートを、残ったジョイントで作ると演奏にベスト」と書いたので、残存ジョイントで構成したフルートのピッチから、何事も大王中心に動いた背景を考えますと、大バッハの息子、C. Ph. E. バッハの弾いたチェンバロと初期ピアノはa1= 395Hzであったと見られます。このピッチは、1713年の英国・トリニティカレッジのオルガンや、1789年のヴェルサイユ宮殿の礼拝堂のオルガンのピッチとほぼ同一です。


フランスのバロック時代のピッチを考える前に、a1の振動数を比較した一覧表を御覧下さい。
 通常、オルガンは調律のたびにパイプが短くなる傾向を反映して高いピッチですが、時代が下ると総体的に一般の使用ピッチが上昇していることが下表からわかります。

a1の振動数を比較した一覧表
                 東京コレギウム刊 『チェンバロの保守と調律補遺篇』から転載

つづく

連載6  昔のピッチについて  440 or 415 Hzは二者択一でいいのか

いま、「440 or 415 Hzは二者択一でいいのか」 を考えています。 

 イタリアのルネサンス期、ロング・スケールのチェンバロは大まかに分けると、スケーリングが前述のようにほぼc2= 310mmまたは340mm強という全音差ピッチの2種類になります。それら楽器のうち、1620年以前に作られたc2= 300mmより長めのロング・スケール楽器は160台の現存楽器中72.5%の116台であるのに、1650~1800年間のロング・スケール楽器は115台中僅か17.4%の20台に減少しています。
 イタリアンの構造・製法は殆ど変らなかったので、このスケーリング変遷は筐体構造上の変更によるものではなく、十六~七世紀に「ラジカルなピッチ変動」があったことを示唆するものとみられます。有名なプレトリゥスのテアトルム・インストゥルメントルムの図版に、スケール付で描かれている鍵盤楽器の姿(下)はピッチ変動期のものです。

       prae4度低いcem2   クリックで拡大

 興味深いことに、上記全音差ピッチの2種の楽器で五度上四度上へ移調演奏すると、ミッチェルのいう「汎ヨーロッパ・ピッチ・システム」計4 種類の移調ピッチにアプローチできます。

 音楽先進国だったイタリアの十六世紀後半以後に作られた、現代のa1 より3~5半音低いチェンバロやスピネットが残っています。 ヴェネツィアで作られた1574年(下)と1579年(パリ コンセルヴァトワール蔵)のジョヴァンニ・アントニオ・バッフォ製作の大型楽器は重要で、オリジナルは現代ピッチより7半音低く、ディスポジションは4'+8' 仕様でした。

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    ロンドン、ヴィクトリア&アルバート博物館蔵 拙著『オリジナル楽器便覧』上巻74頁参照。

 因みに、古いイタリアンの仕様は、現在多く見られる2✕8' ではなく、上掲バッフォ楽器のように1✕4' + 1✕8'、 あるいは1✕8' から始まります。

イタリアのピッチ変動期 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十七世紀前半、イタリアで新しい楽器のスケーリングが変動期を迎え、派生音を使う曲が流行し始め、短い弦長への改造が進みます。それらの楽器は、前世代楽器よりほぼ四度高く(現代ピッチより半音下に)なります。その後、アルプス以北のヨーロッパで中音域と高音域の真鍮弦用法から、鉄弦用法が標準となり、イタリアの十七世紀楽器と十六世紀楽器の多くが、新しい十七世紀楽器の短弦長スケールに改造したか、取り換えられながら2✕8' 仕様に移行します。十七世紀末、ヴァチカンがa1=約400Hzの基準化を試行したさい、「ヴェネツィアや他の北部イタリアから来た器楽奏者は、ローマでの演奏音より全音低くしなければならなかった」という記録を残しています。
 十六世紀の半ばにピッチは現代のa1= 440Hzの下半音、または全音低くなり(現代ピッチのA♭ またはG )、それまでより高めのこの新しいピッチは、昔の古いピッチと共存して十七世紀から十八世紀の終りまで続きます。1500~1800年の間のチェンバロは多種類のピッチがありましたが、大部分はある一定のピッチ伝承を尊重していたようです。
 十六世紀のチェンバロは移調できる楽器とみなされ、ルネサンス・ピッチ(a1= 410 Hzと455Hz)よりほぼ四度低いものでした。
ルッカース時代 ⦆⦆⦆⦆⦆ 十六世紀後期のアントワープで、現代ピッチのa1= 440Hzより1半音~2半音下の、多分イタリアの場合より僅かに高いa1= 385Hzと415Hzの間のチェンバロが作られ始めます。ルッカース研究の泰斗オブライエンは、その415Hzを「R(リファレンス)ピッチ」と名付け、a1= 415Hzが、現代のバロック・ピッチのひとつになることを正当化しました。

つづく 次回は、バロック時代のドイツのピッチを考えます。

多田逸郎先生 のこと

追悼 多田逸郎先生
  2017年6月にお見舞いして1年足らずの本年5月1日、多田逸郎先生は亡くなられました。
 教職も長く務められたので、間然なき先生の生き方と人生は無言のうちにも、音楽にかぎらずいろいろな領域で教えられた人は多いのではないかと思います。
 教育大(筑波大)付属高校から都立藝術(総合芸術)高校、東京藝大での「西洋古楽演習」など、授業の記録をお送りいただいたときは、実施内容の充実ぶりに驚かされました。都立藝術高校で先生の後任となった私・野村にとっても、私淑して止まない方でした。

奥津城訪問
 カトリックでは11月が我が国のお盆のように、死者を回顧し偲ぶ月だそうです。11月18日、教育大付属高校時代の同僚だったS先生に同乗いただいて私が運転、八王子市郊外のカトリック五日市霊園に墓参してきました。 霊園内区画は「カトリック上野教会使用墓地・第8区12・14・23・24番」。JR利用なら五日市線・武蔵増戸駅から徒歩15分です。

バロック一期生
 1960年代、我が国ではバロック・ブームといえるさまざまな動きがありました。イ・ムジチ合奏団によるLpレコード《四季》の売れ行きは盛んで、今でこそオーセンティックな楽器を使う「古楽」が定着していますが、藝大助教授だった服部幸三先生が世話役の「東京バロック音楽協会」のコンサートでは、モダンのチェンバロを当然a1=440で使い、ガンバの代わりにチェロの使用はいいけれど、ネックに糸を巻きフレットをつけるなどしていました。
 その演奏会のリコーダー奏者が多田逸郎先生でした。ドイツ留学中に師事したシェック博士との共演時代を画した演奏会でした。シェック博士からトヤマ楽器に貸与されて以来、飛躍的に日本製リーコーダーの音が向上します。
 その頃、多田先生に出会った私はチェンバロ研究を始めた頃で、山田貢氏をご紹介頂き研究会を開き、今は旧聞になっているJohn D. Shortridgeの書いた『Italian Harpsichord-Building in the 16th and 17th Centuries』を訳し、故・堀さん、故・柴田雄康君とともにイタリアンのスケーリングを勉強していました。まさに日本における歴史チェンバロ製作研究の幕開けの時期でした。

 堀さん、市川君、 服部幸三先生、柴田雄康君に次いで多田先生が逝去、一つの時代が終わった感慨です。

多田教室
多田教室の種まき  
 多田逸郎先生が渋谷で開講された「リコーダー教室」の受講生に、いま大御所の大竹尚之さんほか故・佐々木節夫/松田世紀夫/三間久道/山岡重冶の諸氏がいて、その人脈を見るだけでも多田教室の果たした役割は大きかったといえるでしょう。

著 作
 それだけではありません。実践的な著作が多く、愛奏された方は多いのではないでしょうか。以下は主要なものです。

多田著作2   はじめての出版物。アカデミア・ミュージック刊   多田著作1  多田シリーズの第1巻 全音楽譜 

多田著作4  タイトルは『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』全音楽譜。下掲の原書は、ヘンデルが才能豊かなアン王女のために通奏低音の導入から、フーガ‥カノンの高度なレベルまで課題を書いたテキストで、これをコナセないと古楽演奏家とはいえません!!

多田著作3 上掲の『ヘンデルの数字付き低音課題に基づく通奏低音』の原書(オックスフォード出版局刊)表紙。絵画写真ばかりか、色使いまで再現。
 
In questa tomba oscura lasciami riposar, (Beethoven WoO 133)


                         

連載5  昔のピッチについて 

ピッチの変遷とチェンバロのc2 弦長

            RCM 4
             工匠不詳の現存最初期楽器 RCM蔵
最初期楽器
 上掲の工匠不詳の現存最初期楽器( 王立音楽大学 RCM蔵:上巻p.66に詳細 )や下掲の『アルノー手稿』(下巻p.37に詳細) からうかがえるプロトタイプの誕生以来、チェンバロはソロや合奏に使われ、当然そのピッチは他楽器との関係で決まり、間もなく主導的楽器としての地位を得ます。

          アルノークラヴィシンバルム1 (2)   『アルノー手稿』の中のチェンバロとアクションを解説した頁

弦の性質と長さからピッチを類推
 さらに、カーボン成分を含ませる現代のピアノ線とは異なり、燐(phosphorus)成分が含まれ、断弦し易い昔のチェンバロでは、弦長・ピッチ間に許容される自由度はさほど大きくなく、通常、適度な長さがあってピタゴリアン・スケールを適用し易い音域の代表音として、c2(2点ハ音)の「弦長スケール(スケーリング)」が演奏ピッチをかなり反映するとみなし、その弦長計測値は昔の「ピッチ・レベル」を推計する拠り所になっています。そして、チェンバロの弦長は、工匠の個人的な好みで決められたかのように思われていましたが、各工房は常にかつ正確に基準を守り、共通スケールを用いていたことが近年のオブライエンレイトの研究からみえてきました。チェンバロの弦スケールからみたピッチ類推も可能なのです。また、オリジナル古楽器のチューニング・ピンに残っていた残存弦の冶金学的分析により、主要なタイプの弦の限界的な弦張力と破断点が明らかになっていますので、計測可能な弦長スケーリングから過去のピッチが類推できるのです。

つづく